もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「知的生産の技術」「税金 常識のウソ」「コーヒー・ハウス」

03月22日:梅棹忠夫「知的生産の技術」

 知的生産のための空間の機能を分化させるということは、つまり、知的生産の作業のなかに、いくつかのちがった系列のものが存在することを確認する、ということなのである。うっかりすると、事務的な処理に時間とエネルギーの大部分をとられても、自分では、けっこう何か仕事をした、という気になりやすい。事務がかたづいただけでは、創造的な知的生産は、なにひとつおこなわれていないのである (本書, p. 93)。
 ◆1969年、知的創造の方法という問題をいちはやく問題提起した一冊ではないでしょうか。「知的生産の技術」をざっくりひとことでいえば、情報の活用方法を自分なりに体系立てることです。ノートからカードにすることで携帯しやすくなり、ページ単位ではなく論理単位で自由に組み換えることで新たな発見が見えてくる。◆目にした知識をどのように処理し、保存するのか。そして、保存した知識をどのように引き出して活用するのか。著者はこのようにいいました。いずれ、知的生産をおこなうことが、”誰に対しても”求められる時代がくると。◆膨大な情報に囲まれた今、この本を読んで、(この本にある京大式カードなどをそのまま取り入れるだけではなく)自分なりの「知的生産の技術」を編み出してゆくと面白いのではないかと思います。◆なんとこの本、近所のブックオフで108円で転がっていました。あら?もう消費税8%価格?(関連して、1円玉の発行量がどうなるかも気になるところ)

03月18日:神野直彦「税金 常識のウソ」

 1990年代以降の日本の租税政策の特色は、高額所得者と法人所得に焦点を絞って減税を実施していく点にありました。しかも、減税による収入減を、一般消費税つまり消費税の増税によって補うとともに、それによって租税負担を、豊かな階層から貧しい階層へと、シフトすることを意図していた点に特色がありました (本書, p. 205)。
 社会的ビジョンと租税制度とのミスマッチが強い租税抵抗を生みだし、それが増税政策を封じてしまいます。そのため社会的ヴィジョンと租税制度とのミスマッチが、かえって拡大するという「負の連鎖」を形成してしまうのです (同上)。
◆ちょっぴり「釣り」の香りがするタイトルとは大違い、「政府が国民から租税を巻き上げるのはなぜ正当化されるのか?(租税の根拠)」といった素朴な疑問から、人税や物税といったおおまかな租税の話、所得税や消費税、相続税の性質や課税の仕組み、日本の租税政策、幅広い話題をあつかっていて、とても読みごたえがある一冊でした。◆「常識のウソ」としては、消費税が公平な課税を実現するということなどを挙げることができます。片方では小さな政府を目指して高所得者や法人を中心に租税負担を減らしながら、もう片方では大きな政府のように消費税を上げてゆく、そのちぐはぐさが租税への不信をもたらしていると著者はいいます。◆増税というと感情的な反発を引き起こしがちですが、それはまさしく、引用した「負の連鎖」というものなのかもしれませんね。

03月16日:小林章夫「コーヒー・ハウス」

 政治が語られる一方では、最近流行のファッションが話題になり、文学論が口角泡を飛ばして戦わされる一方、インチキ薬の効能をまことしやかに説明するも のもある。商売人同士が取引の話をしている隣のテーブルでは、泥棒が聞き耳を立て、金を奪う手筈を考えている。新聞・雑誌を読む者、手紙を書く者、友人と 談笑する者、ありとあらゆる層の人間が勝手なことをやっている。コーヒー・ハウスには時代の社会風俗がたっぷり盛り込まれているといえるのである (本書, p. 266)。
◆本書の舞台は17世紀後半のイギリス、喫茶店の前身となったコーヒー・ハウスは18世紀にかけて最盛期を迎えます。最盛期のコーヒー・ハウスは、政治、 文学、経済などの重要人物が集まって議論を交わす「情報の最前線」であり、したがってそこはジャーナリズムの拠点ともなりました。さらには、字が読めない人たちも喫茶店へ行って、新しい情報にみんなで関心をもったわけですね。

◆しかし19世紀に入ると、「情報の最前線」としてのコーヒー・ハウスはその役割を失ってゆきます。そこには、家庭での喫茶文化の普及(ティーパーティー、アフタヌーン・ティーですね)などといった理由から、情報の最前線としてのコーヒー・ハウスは変質してゆきます。

◆いわば、人びとはコーヒー・ハウスに出入りすることで情報にアクセスしていたということ、こうして考えると、現在とのつながりも見えてくるのではないかと思います。