もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「昔はこんな事件はなかった」

 「昔はこんな事件はなかった」と祖母が言うとき、私はそのバイアスの根深さに頭を抱えてしまう。戦後以来、本当に「こんな事件はなかった」のか? 1980年代、小学生の子どもらが、徒党を組んで、数カ月にわたって一人の老人をよってたかって暴行し続け、月々のわずかな年金を巻き上げた事件があったことなどを知ると、昔の子どもは今の子どもよりも健全であったと、本当に言えるのだろうか、と思ってしまう。

 私自身も、祖母のようになるのではないか、と恐れている。もちろん人としては大好きなのだけれど、思い出が美化されることに対する自覚の無さは、老いによる自然な働きなのだろうか。

 もし、歳を重ねることで、思い出が美化され、美しい思い出だけが残るのだとすれば、それは老いに対する救いのようにも思える。今まで良い人生であったと、思いやすくなるからだ。しかし、過去を美化することは、現在や未来に対する悲観を強めるかもしれない。その身近な例が「昔はこんな事件はなかった」なのだろう。

 過去を美化し、未来を悲観して、その悲しみに対して、諦めたり、何とか折り合いをつけて、死んでゆくのが、人間なのだろうか……と、祖母を見ているとそう思う。

 いま私が驚いている凶悪な事件も、いずれは自分のことではなく「世の中の出来事」として忘却して、「昔はこんな事件はなかった」と言うようになってしまうかもしれない。

 私は、叶うなら、汚い思い出も記憶しておきたいものだと思う。過去を美化するのではなく、そこに人間の普遍的な姿を見つけて、「いつの時代も、人間そんなに変わらんのだなあ」と諦めて、苦々しく笑えるような、老人になりたい。