もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

F. Chopin, Nocturne in C minor, Op. 48. No. 1.

 ショパンハ短調ノクターン(作品48-1)を打ち込んだ。おそらく、変ホ長調(作品9-2)、変ニ長調(作品27-2)と並んで人気が高いと思う。人気の高い作品で優れた演奏も多いだろうに、なぜわざわざ打ち込んだのか。それは、この曲が好きだから!

 この曲はショパンの魅力が詰まった作品の一つだと思う。一見分かりやすくて間口は広いのだけど、いざ取り組むととてつもなく難しい。感情的にも、おそらく技術的にも。

 以下、私の勝手な制作メモ。すべては思い込みで、根拠はない(笑)

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インフルエンザの予防接種

 いさかいの種がどこにあるのかは分からないものだ。言い争いとまでは行かなくても、他人との意見の違い、それも埋めようのないものを突き付けられたとき、その人との距離感を感じてしまうことがある。

 インフルエンザの予防接種の話だ。私は効果はあると言い、その人は効果はないと言った。私の根拠は至って単純だ。病院で医師から受けるように指導を受けたし、厚労省をはじめとする公のところは、予防策として、手洗いやうがい、十分な睡眠とともに、予防接種を受けることを推奨しているからだ。それに対して相手は、自分が打っても罹ったことや、かかりつけの医師の意見を根拠として挙げた。「医師」が出てきてはどうしようもない。子ども社会において「ママが言ってたもん!」が強い威力を持つのと同じだ。

 その人からすれば、私は政府に盲従する愚か者ということだろうし、私から言わせれば、否定をするなら十分な根拠(エビデンス)に基づいた否定材料を出してくれという話だ。互いに「これはダメだ」と悟って矛を引いたが、そんな思想の違いが見えてしまったので、どこか気まずい雰囲気のまま食事を終えた。

 そう、これは思想の違いだった。巨視的な視点からみて予防接種の効果があるかという話ではない。自分がどのような選択をするかという話だったのだ。

hontoカード、情弱の悲しきポイントカード生活

 ジュンク堂で本を買った。やけくそになって2万円分買ったのに、ポイントをつけ忘れてしまった。ここから学べることは二つある。やけくそはよくないということ。そして買い物をする際にはポイントのことを考えなければいけないということだ。

 だがこのポイントというやつが、私のようなポンコツ人間には極めて面倒くさい。Tポイントだのdポイントだの楽天ポイントだのポンタだの、アンポンタンにはもう訳が分からない。そもそもカードが増えるのは嫌だ。アプリなら場所はとらないが、いちいちアプリを増やすのも嫌だ。

 それなので、今まではこの選択肢をすべて放棄して、交通系電子マネーとクレジットカードを除いた「ほぼ現金主義」をかたくなに貫いてきた。

 それでもそれなりに本屋やら飲食店やらで「なんとかポイントはお持ちですか?」と聞かれるのがずっと続いたものだから、去年あたりにdポイントカードを作った。もちろん情弱人間なのでアプリの存在など知るわけもなく、原始的なカードを作った。

 脱線するのだけど、dポイントカードと言えば、先日こんなことがあった。加盟店に行ったとき、ポイントをためてもらうつもりで「チャージしてください」と言ったのだけど、「チャージはできない」と言われ、頭が「?」でいっぱいになった。変な汗をかきながら「じゃあポイントはいいです」と言うのが精いっぱいだった。考えてみれば何のことはない、チャージと言えばカードに現金を入れることじゃないか。私は電子機器に戸惑う老人になった気がした。

 話を戻すと、それで私はジュンク堂でも原始的なhontoカードを作ったわけだ。これはdポイントと連携しているらしい。一度で二度たまっておいしいとは言うが、200円で1ポイント(=1円)なので0.5%じゃないか。2万円買ったところで100円。購入で得られるポイントはあまり期待していないし、いくら本を買うとはいえ、支出額はちょびっとしたものだ。このカードを作る意味があったのか?

 まったく、情弱のポイントカード生活はつらいものだ。

 朝。聞いたことのない鳥の鳴き声に目を覚ます。窓を開けると、秋の終わりを知らせる冷たい風が足元から静かに入り込んできて、家のなかを駆けめぐる。

 外が私を呼んでいる。今日は面白い一日になるぞ、と。そんな気がしたので、今日は少し早めに出かけることにした。

Liszt, Thalberg, Pixis, Herz, Czerny, Chopin. "Hexameron"

 リストらによる「ヘクサメロン」を打ち込みました。ヘクサメロンとは「6つの詩」の意味で、創世記における天地創造の「六日」にちなむとのことで、この曲が作られる先年に亡くなったベッリーニの作品からテーマを引用し、それを当時大活躍していた6人のピアニストたち(作曲家でもあった)が変奏するという贅沢な作品です。話題性抜群、夢のコラボに違いありません。その6人とは、フランツ・リスト、ジギスモント・タールベルク、ペーター・ピクシス、アンリ・エルツ、カール・ツェルニーフレデリック・ショパンショパンとリストが好きな人にとっては唯一の共作なわけで、涙が出るほどうれしい作品なのではないかと思います(言い過ぎ?)。

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森鴎外の映像

 ずいぶん前の話なのだけど、鴎外記念館森鴎外が映った映像を見た。映像はほんとうに数秒で、雑踏のなかにまぎれて、カバンを持った鴎外が通り過ぎるというだけの映像だった。フィルムの関係で早回しになっていると思うのだが、ほかの人に比べても鴎外の歩く速度は速い。それを見て、「ほぉ、鴎外は、早歩きだったんだなあ」と、バカ丸出しの感想を抱きながら記念館を後にした。

 で、後日幸田文さんの対談録『幸田文 対話(上)(岩波現代文庫)』を読んでいたら、鴎外の次女小堀杏奴さんが対談のなかでこの動画について言及していた。

父自身が映っている映画はあるのよ。天皇陛下が皇太子のとき欧州へいらしたでしょう? その帰り、お出迎えにいったたくさんの人の中に父が出てくるの。ふつうの外套を着て、カバンをぶらさげて、つまらなさそうな顔をして歩いているの。父が「映画に映るんだったらもっと前の方を歩けばよかったな」ですって。死ぬ一、二年前じゃなかったかしら。その映画は今、どこにあるんでしょう? もう一度見たいわ (pp. 23-24)

 鴎外はそんなことを言っていたのだなあ。杏奴さんはこの映像を見たのだろうか。

東京駅

 東京駅って何なのだろうか。池袋新宿渋谷品川上野といった大きな駅を降りても、「どこでご飯を食べたらいいのか……」と迷うことはないのだけど、東京駅だと毎回そうなる。いや、もちろん池袋だろうが新宿だろうが何を食べようかとは迷うのだけど、これらの場所では「どこで食べようか」とは迷わないのだ。適当にぶらついていれば見つかるし、それが楽しみでもある。

 例えば、新宿でパスタを食べたいと思ったとする。好きな店もあるが、適当にほっつき歩いていればパスタ屋の一軒や二軒は見つかる。渋谷でラーメンを食べようと思ったとする。これも適当に歩いていれば博多天神に行き当たるだろう(当たらないよ!)。

 けれど東京駅は違う。新宿池袋渋谷はいずれもダンジョンと呼ばれるほど迷いやすいと言われるが、地上に出て歩き回ると案外お店は見つけやすい(もちろん隠れ家的な店は別だ)。だが東京駅を訪れるたびに、私はいつも飲食店を見つけるのにとても苦労する。どんなお店があるか、いちいちビルに入らないと分からないし、おしゃれすぎて、行き場がない。だから私はなか卯とてんやに行ってばかりいる。あるいは竹橋に出て弁当を買う。古びた地下街でラーメンなんかを食う。

 東京駅以外の街は歩いていて楽しいが、東京駅近辺は歩く場所ではないなと感じる。もちろん駅から皇居、帝国劇場、日比谷公園といった目的地に向かって歩くのはよい。気持ちの良いプロムナードがある。だが、私にはやはり洗練されすぎていて落ち着かない。電線を地中に埋めるのは景観上素晴らしいことだが、それにしたって店まで地下に埋めるような――均質的なビルのなかにしまい込む――真似をしなくてもいいじゃないか。

 と言いつつも、さすがにてんやとなか卯以外にも行きたいと思った私は、やむなくスマホで店を調べてから行くことにした。そう、事前に調べて、目的地に向かうくらいでないといけない。これを書いていて、だから、私は東京駅が好きではないのだ、と気が付いた。

 東京駅についてはいろいろ思うところがあるけれど、天皇陛下御即位慶祝だと言って一日中電車で移動してはしゃいでいたせいで眠すぎるので今日は寝る。