もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

私のピザ歴史

今週のお題「ピザ」

 

 これまた気になるお題が来た。以前に「ピザの歴史」という本について書いたことがある。「マルゲリータ」を作ったのはもちろんマルゲリータ王妃本人ではなくピッツァイオーロ(ピザ職人)のラファエレ・エスポジト (Raffaele Esposito - Wikipedia英語版) であり、エスポジトもまた考案者ではなく、すでに同様のピッツァはあったそうだから、本当の考案者は分からないままである。19世紀後半というそう遠くない過去のことでさえこうなのだから、文化というものはやはり語られないところから産まれて育つものなのだなあと、しみじみさせられる。

 ともあれ、「ピザの日」と聞いた私は、ラファエレ・エスポジトという、マルゲリータ王妃の推薦をしっかり商売にも利用した商魂逞しいピザ職人がいたことも思い出すのである。

 それにしても、私とピッツァという食べものの接点を考えると、その最初はやはりアメリカ的な「ピザ」だったと思う。つまり、子供のころに家庭でとった宅配ピザだ。小学校中学年のころに、ハワイアンなんとかというパイナップルの入ったピザや、きざみ海苔の散りばめられた照り焼きピザを食べた記憶がある。

 高校生になると、インターネットが進歩して、ネットから宅配注文ができるようになった。これは便利だとドハマリした私は、小遣いを使って、寿司やらピザやら、宅配ものを何度もとった。子供の財布にとって宅配というのは大出費だったから、今思えば随分浪費したものだ。

 当時はピザダーノのSサイズのピザなどをとった記憶がある。棒状のマッシュポテトもつけた。高校生といえば大人になりつつある年齢と言えるかもしれないが、それでも未経験のことのほうが多い年頃だったし、私は何事も遅れがちな青年だったから、あのピザの入った白い段ボールを受け取る瞬間は、なんともワクワクした。

 それ以来、大学生になると宅配ピザはまったくとらなくなった。大学生になると家に居ない時間のほうが多いから、宅配ピザをとる理由がなくなったのだ。自宅にいないから宅配してもらう必要はなく、それなら安いほうがいい、と思うのは当然のことだった。それで家庭用のピザやサイゼリヤなどの外食でピザを食べることが増えた。

 休日の前の日にはスーパーで日本ハムの販売する「石窯工房」というシリーズのピザをよく買った。マルゲリータやら、クワトロフォルマッジという言葉を知ったのは、この頃だったろうか。すでに味付けがすんでいるにもかかわらず、その上からオリーブオイルをかけて焼く。洗い物を出したくないから、ピザの入っていたボール紙の上に載せて、切らずに丸ごとかぶりついた。サイゼリヤも安いから、よく行った。

 と、結局20歳近くまでずっとアメリカ的なピザとの接点しかなかったということになる。ピザと言えばピザーラやピザダーノのあのピザだった。薄焼きのクラフト生地というのもあったが、それも今思えばイタリア・ナポリ的な「ピッツァ」とはまるで別物だった。

 私がピッツァを初めて食べたのは大学卒業間近か卒業直後、ナポリスというチェーン店のピザだったのは間違いがない。ひとけが少なく怪しい店だというのが第一印象だったが、飛び込んでよかった。生地は薄く柔らかで弾力があり、しかし皮はパリっと焼きあがってモチモチしている。ところどころ焦げていて、その香りが食欲をそそる。これは「ピザ」とはまったく別の食べものだ、こんなに旨いのか、と感動した。値段も千円を切っていて、旨さと価格で言えばコスパはブッチギリだった。そこから私はピッツァにハマり、真のナポリピッツァ協会の認証を受けた「真のナポリピッツァ」を食べに行ったりした。

 こうして思い返してみると、私がピッツァにたどり着いたのは、私がお金を持つようになり行動圏を広めた時期とナポリピッツァブームが一致したからではないかとも思われる。それとも、すでにナポリピッツァの店は全国各地至るところにあって、単に私の行動圏が広がっただけなのか。おそらくそれは2010年ごろのことだったと思うが、ほかの方はどうなのだろうか。いろいろな方に「自分のピザ史」を語って頂きたい、などと勝手に思っているところである。

食べ物で遊ぶことについて

 「食べ物で遊ぶな」と、子供の頃には叱られたものだが、さんまの塩焼きを食べるときの私は遊んでいるとしか言いようがない。それは手術ごっこと解剖ごっこの両方を兼ねたようなもので、食べられる部分を正確かつ迅速に分け、さんまの姿形を崩さずに食べるという遊びである。

 それは食べものをきれいに食べようということだから、叱られることはないとは思うのだが、私のなかでは確かに遊んでいるという思いがするのだ。

 その遊びの原点は、――ミラノサンドの話でも書いたが――熱々の食べものは、完成されたその瞬間から死への道のりを歩み始めている、という考え方にある。焼かれた「さんま」は当然死んでいるが、焼きたての「さんまの塩焼き」はまだ生きているのだ。だから、さんまの塩焼きが死ぬ前に、綺麗に、速やかに完食することによって、私はさんまを助け出すのだ。

 「心停止後の救命率は1分ごとに10%減ってゆく」と消防庁のパンフレットか何かでみた気がする。ドリンカーの救命曲線と呼ばれるグラフはそのことを象徴的に示している。叱られることを承知でごく単純に言えば、心停止後1,2分後の救命率はまだ比較的高く、ここで誰かが適切な救命措置を行えば助かる可能性は高い。だが、それが3分4分と経つに従って、そこからジェットコースターのように一気に救命率は下がってゆく。そして軟着陸するように緩やかになり、10分が経過すると救命率はほとんど0になる。

 このことから、心停止状態に陥った人を救うためには、救急車の到着に至るまでの“その場に居合わせた人間(バイスタンダー)”による速やかな救命活動が極めて重要である、という結論に至る話なのだが、私はこの、人の命の懸かった真剣な話を食べものに応用して、「からあげクン生存曲線」などとふざけているのだから人でなしと罵られても仕方がない。そしてさんまの塩焼きについても、私は当然のようにこの生存曲線をイメージするわけである。

 こう考えれば、さんまの塩焼きを救うためには、(1)さんまに極力ダメージを与えずに正確に食べること、そして(2)迅速に食べることが重要となる。より小さな侵襲で、より正確に、より迅速に。もっとも、救った結果は頭と骨だけになるのだが――。

 しかし子供の遊びと異なるのは、私の場合はふざけることと「食べる」という目的がきちんと繋がっていることだろう。子供の場合は「ふざけ」の方向性が行為の目的に向かないから、「遊ぶな」となってしまうのだろう。例えば、勉強が嫌になってふざけるなら、それは勉強から脱線するはずである。そこで、国語教科書にある眠たくなる古典文学(失礼!)の一節をより早く・より長く暗記をするゲームだとか、肉体改造を施して自分の肉体の「レベル」を上げてゆくゲームというのは、ゲーミフィケーションというやつで、考えとしては有り得るけれど子供を夢中にさせるにはなかなか難しいだろう。

 それに比べれば、この医者ごっこ(さんまの塩焼き Ver.)は、まだ障壁は低くて、誰にでもすぐ始められる簡単なゲームである。

 さんまの塩焼きの食べ方をレベルにしたらどうなるだろうか。私は10段階の6ぐらいには居るだろう。綺麗さと素早さが主なパラメータである。はらわたまで食べきる人は8や9、世の中では少数派だろうか? そしてその頂点には、さんまの骨まで食べきる犬猫動物が君臨する――なんて、滑稽で面白いではないか。

 最近の私の課題は、内臓を覆っている腹骨がごっそり外れてしまうことである。これをそのままにできればもっと美しいだろうと思うのだが、焼かれて弾力を失った内臓に押されているのか、焼いた時点で外れている気がする。この腹部回りに関してまだまだ未熟である、と、昨日も考えながらさんまの塩焼きを食べた。エラの近くから背骨に当たれば、あとは尻尾まで真っ二つである。

わたしの大事なお店

 私にとって「大事な店」と言えば、一件の喫茶店しか思い浮かばない。どれぐらい大事かというと、その場所を知られたくないために店名はおろかを地名さえ出さないほどである。とはいえ不思議なのは、なぜ私にとって大事なのかというところだ。

 例えば亡き友人との思い出の店であるとか、妻との最初のデート以来毎年記念日を祝うフレンチレストラン、などというような立派な物語は一切ない。ただ高校生のころに始めて行き、勝手に気に入って10年以上通い続けているだけのことである。それだけ通い詰めた店であれば店主と顔なじみになって世間話からプライベートの話まで交わすようなことがあってもおかしくないわけだが、そういうことも一切ない。

 だが、それがいい。この店の雰囲気を好きな私は、私が居ることによって変化が生じてほしくないのである。だから私は透明人間であり、楽しいその場所の観察者で居たい(これは私がずっと抱いている一つのテーマではある)。その店を営んでいる夫婦がコーヒーを入れ、あるいはレタスをちぎりながら休日の過ごし方を相談していたり、入荷したトマトが美味しいのだと喜しそうに語っていたり、都会に珍しく手かばん一つ持たずにやってくる地元のおじいさんや、いかにも学生という薄っぺらい手提げを持った女の子が店主夫妻と談笑していたり、店内に私だけが一人きりになって本を広げるとそっと静かな曲のCDに入れ替えてくれたり、CDプレイヤーの音量をすっと下げてくれたり、会話は無いけれど、そういうことの一つ一つが私のなかで――ごく何気ないことではあるが――大事な時間となってきたのである。

 初めて訪れたのは高校生のころだから、17歳かそこらだった。マクドナルドのようなチェーン店に慣れきった私にとって、個人の喫茶店に入るというのは非常に勇気のいることだった。学校帰りに店の前へ行き、そのまま引き返す、ということが何度かあった。だが、大人になりたかった。「お金を出せば誰でも客だ、それが資本主義社会だッ」と訳の分からない気合いを入れてドアを開け、びっしょり汗をかいたまま椅子に座り、銘柄はおろか茶の種類さえ知らず、適当に指差して「これで」と言って注文した。マグカップに慣れきっていた私は、はじめて紅茶のティーカップをつまむように持った。会計を済ませて店を出た瞬間に冬の風が横から突き刺さって、汗だらけの私の体を芯から冷やした。けれど、不思議な達成感に手ごたえを感じ、興奮の冷めないまま駅まで駆けて行ったのを覚えている。

 それから10年以上通ってきたわけだが、この大事な店というのは、いまや私にとってはマクドナルドに行くのとさして変わりないぐらいに気軽なことである。何も特別な時に行くものでもなく、「あれが食べたいな」と思いついたり、「ちょっと落ち着きたいな」というぐらいの気持ちで訪れる店である。けれど、そう思ったときにはそれはその喫茶店でしか果たせないのである。他の店では代わりが利かない。だから「この店がいつまで続くのだろうか」という悩みは、そのまま「私の人生がいつまで続くだろうか」という疑問と関連しているくらいに重大なことである。となると、やはりわたしの大事な店と言えば、この喫茶店しかない。しかしそれは、何らかのイベントによってではなく、逆に、何事もない時間の積み重ねによって、それがかけがえのない場所になった、ということである。

 タグ機能キャンペーンともいえるこのテーマに触発されて、書きたかったことを思い出したので、勢いのままに書いてみた次第である。

知らない誰かに道を尋ねられることについて

 ともすれば退屈に繰り返される日常において、まったく思いがけない変化というのは、良くも悪くも自分の生を実感させてくれることでもある。今日はそのいい方の話をしたい。

 例えば、知らない誰かに道を尋ねられることは、日常に楽しい変化を与えてくれる体験である。いまや道に迷おうとスマホGPS機能で自己解決するご時世だから貴重な光景になってしまったけれども、それは赤の他人から、群衆としてではなく一人の人間として「私」が認識されるということではなかっただろうか。

 どうにもおじさん臭い、カビの生えた話になってしまうが、都会ではなかなか人のつながりが見えにくい。都会に生きる人は、あまりの人間の多さに対処するために、自分以外の人間を顔の無い群衆とみなす癖がついているのだと思う。

 街を歩けば、顔の無い人間ばかりである。顔を覆い隠し、自分の繭に引き籠っている。スマートフォンを握りしめ、他者とのコミュニケーションを拒絶する。他人の靴を踏んづけても謝りもしない。会釈も無しに平然と隣の座席に飛び込む。こうした人間にとって、私は人間に見えていないのだろう。彼らにとって私は顔の無い群衆であり、私にとっても彼らは顔の無い群衆である。こういう暗黙の了解が、都市生活のなかで人びとに安心感を与えている一面もあるだろう。

 ともあれ、私たちは日々このように顔の無い生活を送っているものだから、人間であることを思い出す瞬間は貴重なものである。人間味のあるコミュニケーションをとり、またそうした瞬間に居合わせると、私は少しだけ人間の心を取り戻す。そしてその一つのイベントが、道を尋ねられるということである。道を尋ねられた瞬間だけ、のっぺらぼうの私は自分の顔を取り戻す…………。

 と、こういう気持ちがしているのである。それは、私有化(プライヴァタイゼーション*1)と並行するように、人びとの社会生活も私秘化(プライヴァタイゼーション)してゆくかのようにも見える。

 そもそも、赤の他人から一人の人間としてみなされることは、それほど大切なことだろうか、という疑問は当然ある。赤の他人から人間とみなされなくても、仲間がいるではないか。みなが繭にこもったところで、私も彼ら自身も、その仲間とだけ楽しく過ごしているのなら、それでよいのではないか?

 と言うところに来ると、やはり「公共とは何だろうか?」という漠然とした疑問が浮かび上がってくる。こういうところから、また公共について考えてみたいと、毎度浅慮ながら思ったりもする。

*1:不慣れな横文字を使うのは、そういう用語であること、またプライベート化を意味するこの言葉を掛詞にしようという粋がりである。恥ずかしい。

赤ちゃん新聞

赤ちゃん新聞投書欄


「近頃の乳児はいつまで経ってもママにアーンしてもらっているという。我々の若い時分は3ヶ月でスプーン、6か月で箸の使い方をマスターしたものだ(男性・2歳)」

 

 老人が若い時分の体験を虚飾し若者を見下すのはよくあることなので、赤ちゃんにしてみた。

 後世代を批判しながら過去を美化することというのは、歳を重ねる者にとっては、ちょっとした落とし穴ではないだろうか?

 いずれにせよ、赤ちゃんや幼児の世界におけるマウンティングにはどのようなものがあり得るか、多くの人に考えていただきたいものである。