「シンプル・アクシデント/偶然」
5/12 アップリンク吉祥寺にて鑑賞。不当に投獄され、拷問や屈辱的な仕打ちを受け、家族までも失った男ワヒドが、ひょんなことから仇の看守らしき男に遭遇する。獄中では目隠しをされていたワヒドにとっては看守の「勲章」たる義足の音だけが、看守を特定する唯一の証だ。男を拉致し荒野に埋めようとするが、人違いだと言う。その必死の叫びに確証が揺らいだワヒドは、他の被害者のもとを訪ねるが…………という話。
この物語が特異なのは、群盲評象という感じで、被害を受けた人間がみな看守の一部分しか知らないということだ。それも目以外の。ある人は音(聴覚)、ある人は肌触り(触覚)、ある人はにおい(嗅覚)、ある人は味(味覚)というかたちに、かなり意図的に配置されている。しかもそれらが全く役に立っていないのがなんとも皮肉だ。
本作にはいくつかの考えさせられるポイントがあった。負の連鎖の下で苦しみ、抜け出せずに居る人びと。抜け出そうとする人びと。自動車で犬を轢いてしまったときに「仕方ない」と割り切る人間と、割り切れない人間。全員が獄中では目隠しをされていて誰一人看守の実像を知らないという設定もこの映画を特殊なものにしている。
最後の看守らしき男の叫びは本心なのかもしれないが、メタ的に見れば監督の主張そのものだろう。みな同じ人間である、と思いたい。が、ラストはそれを許してくれない。鑑賞者に疑問符を投げかけて、作品は終わる。
映画「ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー」
5/25 TOHOシネマズ 上野にて鑑賞。ロゼッタ姫がクッパジュニアに攫われて、マリオとルイージが救出に行く……というところはもはや王道なのだけど、本作はピーチ姫も救出側ということで、にわかマリオファンの私は歓喜した。私がにわかだったのがよかったのかもしれないが、知っているキャラクターがどんどん登場するし、音楽も聴いたことのある曲がアレンジされていてめちゃくちゃ楽しかった。フォックスやゲーム&ウォッチが出てきた場面では立ち上がって喝采したかったのだが、つまみ出される覚悟は無かった。
どうやら映画好きや評論家からの評価はあまり芳しくないらしいのだが、考察癖のあるオトナからすればそうだろうなと思う。私自身気になる点はあって、例えばクッパが受動的すぎる気がして「自分の意思は無いんか?!」とツッコミたくなったし、家族は友情に勝ると言ってもその絆が悪に向かってしまうようでは……などと思わないでもなかった。オトナからすれば~というのは嫌味で書いたのではなく、細かいことを抜きにしてひたすらマリオワールドを楽しむような見方をしたほうが本作は楽しめるし、そこが評価の分かれ目になったのだろう。そもそもゲームのために作られた世界観を映画に移植して展開するというのは本当に大変なことで、ものすごいチャレンジだと思うから、いつもワクワクして楽しみにしている。
映画「マテリアリスト」
5/30 アップリンク吉祥寺にて鑑賞。結婚相談所で数々の婚約を成功させてきたルーシーは、二人の男性のあいだで揺れ動く。一人はお金持ちで、長身で、ハンサムで、すべてを手にしている。もう一人の元カレは、貧乏で、俳優を目指しながらアルバイトで食い繋いでいる。かつてはたった25ドルのために記念日にケンカしなければならなかったことにうんざりして、ルーシーはジョンと別れたのだった。
結婚相談所という設定が絶妙で、結婚相談所では相手と直接出会うまではスペックでしかお互いを評価することが出来ない(まあ、「いい人なら誰でもいい」と言いながら年収で足切りしたり、女性なら相手の身長がああだ、ハゲは嫌だとか、男性なら教養があってスタイル抜群で自分は48歳だけど相手は30代だと厳しいなとか、まあこいつら何様なんだと笑ってしまったが)。そこで働くルーシーは、スペックの世界にどっぷり浸かりきったマテリアリストなのだ。だから一度はお金持ちを選んだ。が、ルーシーはマテリアリストであるがゆえに大失敗を犯し、自分の価値観を強烈に揺さぶられる。ルーシーのクライアントの一人はこう叫ぶ。「私は商品じゃない。人間よ」。
マテリアリストのルーシーにとって、結婚はビジネス、条件のマッチングだったのだし、それはある程度うまくいっていた。自分の恋愛でも、常に相手を評価してしまう冷徹な自分がいて、貧乏なジョンを軽蔑する傲慢さに自己嫌悪している。じゃあ、愛ってなんなの? というのがこの作品の一番素晴らしいところだ。それにしても、ジョンのジャケットがあまりにも完璧にフィットしていて、余裕のないバイト暮らしにしては立派すぎると思ったのだけど、そこは一張羅、ニューヨーカーの矜持ということだろうか。