もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「大戸屋」に行かなくなった

 気がつくと、「大戸屋に最近行っていないなあ」と思った。以前は大戸屋に通っていたほどで、店内での出来事について以前に記事を書いたこともある。以前は健康食のイメージがあったけれど、最近は他の店とあまり違いがない、少し高い、というくらいのイメージしかない。

 もともと、私は少数派だったのではないかと思う。というのは、多少高値で提供が遅かろうと、健康に良い食事が手軽に食べられるメリットは大きいと思っていたからだ。

 それに対して世間の人は、昼休みのランチに行けば「さっさと商品が出てきてほしい」と思うだろうし、安価であることを望むだろう。健康というのは、正直二の次三の次ではないだろうか。

 そんな少数派であろう私――価格や提供の早さよりも、健康や品質を優先する私――の立場から言うと、気に入っていたヘルシー食が片っ端から露骨に値上がりして消えていったというのが、この数年の流れだったと思う。

 かつては四元豚と野菜の蒸し鍋定食にとろろを追加するのが大好物だった。塩分量が少なく、スマートミール認証を受けていた。そして素直に美味しい。かつて入院したときも、「退院したら蒸し鍋を食べるのだ」と目標にしていたほどである。しかし、退院するころには蒸し鍋はメニューから消えていた。

 「蒸し鍋」が無くなってからは、手作り豆腐とチキンのとろとろ煮を食べていた。手作り豆腐のツルツル感は、他のチェーン店には無い感触で、格別であった……。しかしメニューから「手作り」の言葉が消え、ついにはメニューごと無くなってしまった。

 いまや蒸し鍋や手作り豆腐の代わりにあるのは、プルコギだとか、麻婆豆腐だとか、ハンバーグだとかで、焼き魚定食が申し訳程度に和食をアピールしているに過ぎない。そんなメニューを見ると、「こんな脂っこい料理ばかり作って、どこが『かあさん』だよ」と苦笑してしまう。

 「かあさん」は非効率的な商売であったから、排除されてしまったのだ。残業等の問題もあった。しかし、こと商品の話に限れば、その非効率な部分に魅力を感じていた人も少なくないとは思う。それでも、値段が高い、提供が遅い、となると、それに耐えられる人はさらに少なくなり、商売にもならない。私たちの「かあさん」は消え去ってしまったのだ……。あとは、「ばくだん丼」と「かあさん煮」が消え去れば、「かあさん」は完全に死ぬのだろうな、とは思っている。

 今の大戸屋のメニューを見ると、女性向けとは思えないし、健康という視点もほとんどなくて、そこらのチェーン店とあまり違いがないような気がする。となれば、より安価で提供の早いチェーン店に行くか、より高価で時間がかかっても良質なお店のほうがよい、ということになる。

 「そんなら行かなきゃいいだけだ」という話だが、ここは私の日記だから、居場所の一つが無くなったことの残念さを嘆くことを許してほしい。世の中の大戸屋ファンはどう思っておられるのか、少しだけ気になっている。