もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

体調が悪いときの過ごし方

今週のお題「体調が悪いときの過ごし方」

 

 「体調が悪いとき」と言うと、私にとっては四年前の話、手術後の体力低下からくる頭痛やら立ち眩みやら倦怠感やら、いろいろあったことが真っ先に思い出されるのだが、そういう話は比較的特殊なので避けておこう。とりあえず「普通にしんどい」、風邪やインフルエンザなどを念頭に置いてみる。

 私が体調の悪いときの過ごし方は、無理をしない、寝て待つ、ということに尽きる。ありきたりな過ごし方だが、体調が悪いときには自分なりの特殊なルーティンを実行する元気すらないのが実際のところだ。

 「風邪かな」と思ったら、すぐにウイダーインゼリーの緑とポカリスエットを買い込んで、ただただ横になる。あえて汗をかこうとか、オリジナルドリンクを作ろうとか、そういう努力もしない*1。ただ、最低限の栄養を補給して、自分の身体を信じて、待つ。

 元気になってきたら、重湯から始める。次第にそれをお粥にして、次はそれに卵や野菜を入れる。それで米食に戻すころには、ほとんど元気になっている、という次第である。食べたいときには食べ、食べられないときには食べない。無理をしない。

 むしろ重要なのは精神面かもしれない。体調が悪くなると、あれこれ悪い方に考えやすくなる。「どこで風邪をもらったのか」とか「自分の行いが悪かったのだ」などと自罰的になりがちだ。けれど、それも体調が良くなれば忘れてしまうことだ。元気になれば、そんな自罰的な自分はどこへやら、日頃は「風邪になったらどうしようか」などとは考えないものだし、それは当たり前のことだ。

 だから体調が悪いときは、今の「しんどい自分」がネガティブなものばかりに反応しやすくなっているのだ、と考えるようにしている。どこかの本で聞きかじった、「Post nubila phoebus (雲の後ろの太陽)*2」という言葉を思い出して、ただじっと待つ。雲に覆われる日が続いても、その背後に太陽があることを疑うものは居ない……という比喩だ。

 言葉には人を動かす力がある。比喩に過ぎなくても、つらいときに自分を励ます言葉を頭の中で繰り返すと、いくらかは違うような気がしてくる。それは人によって違う言葉だろうし、あるいは念仏のようなものかもしれない。そもそもそんなものは気休めだと言う人も居るだろう。

 だから、言葉の力を使うというのが、寝て待つというありきたりの答えとは少しだけ違う、私の「過ごし方」と言えるかもしれない。結局は、言葉に縋る、信じて待つ、という非科学的な答えに落ち着くのだ(笑)

*1:ふと思い出したが、祖母は風邪気味のときには梅干しとネギを湯に混ぜた「ねぎ湯」や、はちみつとしょうがを湯に混ぜたものをよく飲んでいた。

*2:この話は以前にブログにも書いた