もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

読書日記 2023/12/1-12/13

ジョルジュ・シフラジョルジュ・シフラ回想録」

 超絶技巧で名高いピアニスト、ジョルジュ・シフラの回想録。シフラもまた時代に翻弄された人だった。極貧と戦争に関する記述が大半を占め、「ピアノに腰かける青年」の姿はほとんど見られない。華やかなヴィルトゥオーゾの姿も見えない。戦地に赴き、投獄され、それでもピアノと再会を果たすのは宿命としか言いようがない。圧倒的な技巧で知られるシフラの演奏には賛否両論が付きまとったが、それも過酷な環境を生き抜くために選んだ道だったことを思えば、ただその到達点の高さに敬服するしかない。

 どう考えても、輝かしいピアノ作品に理想的な演奏解釈をもたらす〈神聖不可侵かつ不朽の流儀〉に関して、私にはまだ多くの学ぶべきことがあった。しかし私はそうした〈掟〉を大して気にとめることはしなかったし、むしろ鬱陶しいものとさえ思っていた。私にしてみれば、苦労して習得し直した〈熟練の技巧〉(私を中傷する人間でさえも〈大展望のようだ〉と口にしていた)をうっかり手放すことのないように、適切に編曲を組み立てる――すなわち技術者(脳)と試験操縦士(手)からなる機械仕掛けに上手く油をさすことのほうがずっと大事なのだった, 252-253.

 Wikipedia(2023現在)には「演奏の際には、決まって革の腕輪をはめ、囚人時代の屈辱を忘れないようにした」とあるが、本書の273ページには収監時の過酷な石材運搬による後遺症で手首が腫れ上がる痛みを軽減するためにリストバントをしていた時期があると書かれている。それと関連しているのだろうか?

トーマス・トウェイツ「ゼロからトースターを作ってみた結果」

 文字通りゼロからトースターを作ろうというとんでもない発想。ユーモアあふれる文章の中に現代への批判がチクリと入っていて面白い。例えば、グローバル化で生産と消費の繋がりが見えにくくなっていること、その過程で環境への深刻な影響があること、そうした目に見えないコストがきちんと反映されていないことなどで、食品にしても衣類にしても全く同じ話だ。

 それでも本書が特異なのは、机上の話ではなく、わざわざトースターを選んで、それをゼロから作るというアプローチをとっている点。なぜトースターなのかと言うと、トースターは「あると便利、でもなくても平気(中略)、古くなったら捨てちゃうもの」のシンボルだからだと著者は言う。それと、ダグラス・アダムスのSF小説「ほとんど無害」で、未開の惑星を訪れた主人公が自分の知識で文明をもたらしてやると息巻いて頓挫したときの一言、「自分の力でトースターを作ることはできなかった。せいぜいサンドイッチぐらいしか彼には作ることが出来なかったのだ」という一文にちなむそうだ。

 それにしても、プラスチックやニッケルを製造する難しさよ。そりゃ近代以前にはプラスチックは生まれなかったわけだ。それも最終的にはチョコを溶かして再び固めて手作りだと主張するけなげな女の子(偏見)のような作り方をしていて「ゼロから」ではないと思うけど、本書の軽妙なノリで行くなら、まぁ、細かいことはいっか!

天野篤「天職」

 心臓血管外科医の天野さんは数々の本を出されているけれど、本書は2021年3月教授を退任される予定のときに書かれた自伝的な本で、バイタリティに溢れる一冊となっている。仕事に悩む人も勇気をもらえるんじゃないかと思う。医者の世界ではエリートとは違い、つねに異端児であった著者だったからこそ、また誰よりも人の悲しみが分かる方だったからこそ、「人のため」を原点にしてQOLを高める治療を早くから実践出来たのだと思う。若いころの驕りや遊興に明け暮れた日々など、不都合な話や失敗談も省察されていて教訓に富む。勇気をもらった一冊。

(以下商品リンク、アフィリエイトではありません)

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2023/12/7(木) 鎌倉へ

 12/7(木) 一日の休みを使ってひとりで鎌倉へ行った。朝はだらだらしながら、11時頃に出発。

 12時半、浪花家でたい焼きを購入、即完食。一尾ずつ焼くスタイルで、しかも注文が立て込んでいたので20分ほど待った。それでも気長に待つ価値はある。

 13時、アルビコッカ鎌倉でランチ。入った瞬間に「まあ、素敵!」とスーツを褒めてくださった。ブラウンのスーツ(フランネル生地、ナットボタンでカジュアル寄り)と、ノックスのハット。

 お店は巨福呂坂切通しの旧道に繋がる細道を上ったところにあって表通りからは目立たないのだが、評判を聞いてか席の八割方は埋まっていた。女性の集団が多く、ぽつんと座る男の私は場違いであった。

 注文は、スズキと鎌倉野菜のペペロンチーノ。味はもちろん見た目もカラフルでワクワクする。自家製のパンは熱すぎるほどで、すごく美味しかった。

 最近、街の小さなレストランの優しさがすごく心地よい。機械的ではない、心あるおもてなし。ここもそういう貴重な場の一つに違いない。厨房とホールの二人で切り盛りされていて忙しそうだったけれど、店内は笑顔が絶えない。帰るときはシェフも厨房から声を上げて挨拶をして下さった。お二人のお人柄に惹かれてリピートする方も多いのだろう。

 14時、たらば書房で本を見る。手ぶらだったのでポケットに入る新書で、南原繁「人間と政治」を購入。鎌倉山行きのバスが来るまで20分ほど、駅の"5 Crossties Coffee"で時間を潰す。

 14時半、鎌倉山のブックカフェ惣で「人間と政治」を読む。本書が今なお新鮮さを持って感じられるのは、国民が戦後の喪失感を克服することが出来ないまま、社会が成熟してしまったからかもしれない。

 17時、鎌倉山を下りて七里ヶ浜まで歩き、江ノ電鎌倉駅へ。山を下りる途中、平地と海を一望できるところがある。夕暮れ時で何とも言えず美しかった。時間は少し早いが横須賀線に乗って家路につく。下の階のグリーン席はほとんど空席だった。

 観光要素はゼロだったけれど、ゆっくりすることが出来てよかった、と思える休日だった。

「大戸屋」に行かなくなった

 気がつくと、「大戸屋に最近行っていないなあ」と思った。以前は大戸屋に通っていたほどで、店内での出来事について以前に記事を書いたこともある。以前は健康食のイメージがあったけれど、最近は他の店とあまり違いがない、少し高い、というくらいのイメージしかない。

 もともと、私は少数派だったのではないかと思う。というのは、多少高値で提供が遅かろうと、健康に良い食事が手軽に食べられるメリットは大きいと思っていたからだ。

 それに対して世間の人は、昼休みのランチに行けば「さっさと商品が出てきてほしい」と思うだろうし、安価であることを望むだろう。健康というのは、正直二の次三の次ではないだろうか。

 そんな少数派であろう私――価格や提供の早さよりも、健康や品質を優先する私――の立場から言うと、気に入っていたヘルシー食が片っ端から露骨に値上がりして消えていったというのが、この数年の流れだったと思う。

 かつては四元豚と野菜の蒸し鍋定食にとろろを追加するのが大好物だった。塩分量が少なく、スマートミール認証を受けていた。そして素直に美味しい。かつて入院したときも、「退院したら蒸し鍋を食べるのだ」と目標にしていたほどである。しかし、退院するころには蒸し鍋はメニューから消えていた。

 「蒸し鍋」が無くなってからは、手作り豆腐とチキンのとろとろ煮を食べていた。手作り豆腐のツルツル感は、他のチェーン店には無い感触で、格別であった……。しかしメニューから「手作り」の言葉が消え、ついにはメニューごと無くなってしまった。

 いまや蒸し鍋や手作り豆腐の代わりにあるのは、プルコギだとか、麻婆豆腐だとか、ハンバーグだとかで、焼き魚定食が申し訳程度に和食をアピールしているに過ぎない。そんなメニューを見ると、「こんな脂っこい料理ばかり作って、どこが『かあさん』だよ」と苦笑してしまう。

 「かあさん」は非効率的な商売であったから、排除されてしまったのだ。残業等の問題もあった。しかし、こと商品の話に限れば、その非効率な部分に魅力を感じていた人も少なくないとは思う。それでも、値段が高い、提供が遅い、となると、それに耐えられる人はさらに少なくなり、商売にもならない。私たちの「かあさん」は消え去ってしまったのだ……。あとは、「ばくだん丼」と「かあさん煮」が消え去れば、「かあさん」は完全に死ぬのだろうな、とは思っている。

 今の大戸屋のメニューを見ると、女性向けとは思えないし、健康という視点もほとんどなくて、そこらのチェーン店とあまり違いがないような気がする。となれば、より安価で提供の早いチェーン店に行くか、より高価で時間がかかっても良質なお店のほうがよい、ということになる。

 「そんなら行かなきゃいいだけだ」という話だが、ここは私の日記だから、居場所の一つが無くなったことの残念さを嘆くことを許してほしい。世の中の大戸屋ファンはどう思っておられるのか、少しだけ気になっている。

体調が悪いときの過ごし方

今週のお題「体調が悪いときの過ごし方」

 

 「体調が悪いとき」と言うと、私にとっては四年前の話、手術後の体力低下からくる頭痛やら立ち眩みやら倦怠感やら、いろいろあったことが真っ先に思い出されるのだが、そういう話は比較的特殊なので避けておこう。とりあえず「普通にしんどい」、風邪やインフルエンザなどを念頭に置いてみる。

 私が体調の悪いときの過ごし方は、無理をしない、寝て待つ、ということに尽きる。ありきたりな過ごし方だが、体調が悪いときには自分なりの特殊なルーティンを実行する元気すらないのが実際のところだ。

 「風邪かな」と思ったら、すぐにウイダーインゼリーの緑とポカリスエットを買い込んで、ただただ横になる。あえて汗をかこうとか、オリジナルドリンクを作ろうとか、そういう努力もしない*1。ただ、最低限の栄養を補給して、自分の身体を信じて、待つ。

 元気になってきたら、重湯から始める。次第にそれをお粥にして、次はそれに卵や野菜を入れる。それで米食に戻すころには、ほとんど元気になっている、という次第である。食べたいときには食べ、食べられないときには食べない。無理をしない。

 むしろ重要なのは精神面かもしれない。体調が悪くなると、あれこれ悪い方に考えやすくなる。「どこで風邪をもらったのか」とか「自分の行いが悪かったのだ」などと自罰的になりがちだ。けれど、それも体調が良くなれば忘れてしまうことだ。元気になれば、そんな自罰的な自分はどこへやら、日頃は「風邪になったらどうしようか」などとは考えないものだし、それは当たり前のことだ。

 だから体調が悪いときは、今の「しんどい自分」がネガティブなものばかりに反応しやすくなっているのだ、と考えるようにしている。どこかの本で聞きかじった、「Post nubila phoebus (雲の後ろの太陽)*2」という言葉を思い出して、ただじっと待つ。雲に覆われる日が続いても、その背後に太陽があることを疑うものは居ない……という比喩だ。

 言葉には人を動かす力がある。比喩に過ぎなくても、つらいときに自分を励ます言葉を頭の中で繰り返すと、いくらかは違うような気がしてくる。それは人によって違う言葉だろうし、あるいは念仏のようなものかもしれない。そもそもそんなものは気休めだと言う人も居るだろう。

 だから、言葉の力を使うというのが、寝て待つというありきたりの答えとは少しだけ違う、私の「過ごし方」と言えるかもしれない。結局は、言葉に縋る、信じて待つ、という非科学的な答えに落ち着くのだ(笑)

*1:ふと思い出したが、祖母は風邪気味のときには梅干しとネギを湯に混ぜた「ねぎ湯」や、はちみつとしょうがを湯に混ぜたものをよく飲んでいた。

*2:この話は以前にブログにも書いた

いわもとQの思い出

「いわもとQ」が10月15日に全店閉店!池袋店は11年の営業に幕 | としまらいふ | 池袋情報・豊島区情報ブログ

 

 ふとChromeのニュースを見ていたら、池袋のいわもとQが閉店するという記事を見つけた。全店舗が閉店するらしい。

 かつて学生時代に足繁く通ったいわもとQ、初めは革命的な驚きがあった。あの値段でつねに揚げたての天ぷらが出てくる、茹でたてをしっかり冷水で締めた、つやつやのそばが出てくる。それまで立ち食いそば*1と言えば、もっぱら早さを重視して美味しさがいくらか犠牲になるのは仕方がないと思っていたのだが、いわもとQは私のそんな固定概念を覆した。「革命」という言葉も大げさではない。

 朝に訪れることもあれば、夜に訪れることもあった。夜のほうが多かったか。百回は間違いなく通った。

 店員のおばさんの、威勢のよい挨拶を聞いて、そば湯を飲みながら待つ。最もよく頼んだのは大盛りの野菜天もりそば。一時期は好物のなす天がついていたこともあったが、すぐに無くなってしまった。恐らくコストの問題だったのだろう。

 実のところ、いわもとQでは単にそばを食べていただけで、誰かと過ごしたとか、何らかのイベント(ゲーム的な用法での(笑))がしたとか、これといった思い出もないのだが、一つだけ、クレーマーのおじさんが来たのがやたら印象に残っている。50代くらいのおじさんで、夫婦で来ていたのだが、「そばを茹でるので時間がかかります」と言っているのに、数十秒も経たないうちに「急いでるから早くしろ」と言い出した。私はそれを横目で見て、「いやいや、急いでいるならそばを頼むなよ」と思いながら野菜天そばを掻き込んでいた。そんな出来事は、この街なら毎日のようにあることだ。

 ともあれ、思い入れはないとは言っても、数年間ずっと利用した店ではあったから、最後の日に再訪することも叶わなかったのは、残念なことである。それを思い入れと言うのかもしれないが……。

*1:座席があっても素早く安価でそばを提供する店を、このようにカテゴライズしてもよいと思うのだが。