もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「雲の後ろの太陽」

 Post nubila phoebus. という言葉がやたらと好きで、ときおり思い出す。「雲の後ろの太陽」。どんなに暗雲が立ち込めていても、その後ろに太陽があることを疑う人はいない。色々なかたちで理解できる言葉だけれど、わたしは単純に、絶望の後ろには必ず希望があるのだ、という意味で理解している。

 もちろん、現実的にツッコミを入れるのなら、絶望の後ろに希望が必ずあるとは限らないのかもしれない。だがこの言葉は、希望の存在を太陽という絶対的な存在に例えることで希望の存在を確信させてくれる。現実には絶望の向こうに希望は無いのかも知れないが、希望という太陽があると信じることが出来るのだ。それは言ってしまえば屁理屈かつ妄信かも知れないが、人を励ましてくれる屁理屈であり、現実を引き寄せうる妄信だ。

 人にとって、太陽のように揺るがぬ希望とは何だろうか。それは人によっては信仰かもしれないし、人によっては使命かもしれない。そんな大げさなものでなくとも、家族かもしれない。自分がもっとも大切にする何か。それは普段意識するものではないけれど、暗い雲がわたしたちの世界を覆い尽くしたときに見出すことが出来たのなら、きっとわたしたちの進むべき道を示してくれる希望となってくれるものだと思う。

 どこまでも無慈悲な世界だからこそ、希望の存在を信じ続けなければいけない。

 ちなみにこの言葉と出会ったのは中学生のときで、ホームページのサブタイトルで「格好つけよう」と思って、ラテン語の格言を調べていたときに見つけた。結局は Pax intrantibus, Salus exeuntibus. (来る者に平和を、去る者に安らぎを)という言葉にした。いわゆる「中二病」が好みそうな格言でしょう、これ(笑)