もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ムカデ、ゴキブリ、人間

 今日、初めてムカデを見た。帰りの夜道をボケーっと歩いていたら、はっきりしない足元になにか見慣れぬ動きをするものが見えた。ゾッとしてよく見てみると、それはムカデだった。

 もちろんムカデというものは知っているけれど、本や動画でしか見たことがなかった。下手をするとそうしたものでさえ見たことがない。ただ覚えているのは、福岡に住んでいる人に話を聞いたときに「うちにたびたびムカデが出る。噛まれることもある」と聞いて、福岡と言うのは恐ろしいところだという思いを抱いたということだ(たかがムカデ、大げさで失礼な話だが)。

 夜道につやつや光る赤黒いそれを、ワイシャツにスーツに革靴の男は数分のあいだじっと観察していた。不審者である。ムカデは何を求めてどこに向かっているのか。その正確な足の運び。なぜこんな歩き方で歩けるのか、ムカデに聞いてみたい気もする。ムカデがそれを懸命に考えることで、かえって歩けなくなってしまった……という寓話を思い出す。

 人間の慣れる力、環境に適応する力というのは驚くべきものがあるから、わたしだってムカデに日々接している環境にほうり込まれれば慣れるのだろうとは思う。そのような環境に身を置こうとは思えないが……。それで思い出すのは、小学生のころにある友人の友人の家に行ったときのことだった。その家はいわゆるゴミ屋敷で、床にはゴミが丸出しであったりゴミ袋に入った状態で散乱していて足場がなかった。そこに大小さまざまなゴキブリが2,3度ちらっと見えた。わたしは驚いたが、その子は何とも無さそうな顔をしていた。ゴキブリでさえ慣れるものなのか、と子どもながらに思ったものだ。

 そう考えると、むしろこれだけ適応力のある人間という生き物が追いつめられる社会というのは何なのか、と思ったりもする。もちろんそれは比喩にしても飛躍しすぎた話ではあるのだけど、人間社会のストレス(例えば新しい職場に馴染もうとするときや、嫌な人間と付き合い続けることと今後もそうであろうという絶望感など)というのは、自宅に毎日ゴキブリが出続けるときのストレスとはまったく違う。ゴキブリは慣れるのかもしれないが嫌いな人間というのはたぶん慣れない。ゴキブリと、ゴキブリと同じくらい嫌いな人間とでは、なにが違うのだろうか(これは空想実験に過ぎない。幸い、わたしにはそこまで嫌いな人間を作らずに生きることが出来ている)。

 帰ってきてボケーッとしながら、このような迷走した空想を展開していた。