もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

わたしがブログを書く理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

 私がブログを書くのは、手紙を瓶に詰めて、海の向こうの誰かに託すようなものである…………なんていうのは美化しすぎていて、実際には、通りのゴミ捨て場にゴミを捨てるようなものだと思っている。それが卑下しすぎているとしたら、しょぼくれた野郎が街頭で独り言をつぶやいているようなものだと思っている。つまり、そこに何らかの価値を見出して、耳を貸してくれたり、返事を返してくれる人のほうが稀有なのだ。

 それでも、断続的とはいえ十年くらいはブログを書いてきた。需要を一切考えずにこれだけ続けてきたことを改めて考えるなら、それは自分にとって小さくない意味があるからなのだろう。

 私がブログを書き始めた理由は、「自分の見聞きしたこと、思ったことや考えたことを記録すること」であったし、今でもそれは変わらない。スマホひとつで書けるので、なんだかんだで楽なのだ。

 けれど、本当に記録したいだけなら、わざわざそれをブログとして公開する必要はない。だから、自覚はないけれど、「誰かに何かが伝わればいいな」という思いも無くはないのだと思う。しかも、その「誰か」というのも想像上の「誰か」に過ぎなくて、実はまったく居ないのかもしれない。それでも、「誰か」に対する言葉として自分の思考を書くというのは、日記とはまた違った楽しみがある。

 無性に誰かにそばにいてほしいときや、無性に誰かに何かを伝えたいときに、その「誰か」に向かって言葉を発することが出来るのが、ブログなのではないだろうか。例えば、夜に寝ようというときに爆音のバイクが通って腹が立てば「うるせー!!」という怒りを数百字にわたって書き込み、電車のホーム待ちでいかにも割り込みそうな人の特徴を観察した結果を書き込む。そんな言葉すらも、数年経てば思い出として笑い話になる。今でもときおりブログを書こうという衝動がこみ上げてくるのは、そんなどうでもいいことを、「誰か」に対して伝えたいという強い思いに駆られたときなのかもしれない。十年続いてきたのは、その繰り返しに過ぎない。これからも、この衝動が消えない限りは、ブログを書く習慣が無くなることは無いだろう。

 私にとってブログを書くことは不思議なもので、外向きのようでいて内向きな行為であるし、内向きのようでいて外向きな行為でもある。この不思議なところに、少なくとも私にとっては、ブログを書くことの一番の楽しみが隠れているように思う。