もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ロベルト・ゼーターラー「ある一生」

 ロベルト・ゼーターラー「ある一生」を読んだ。最近の私は、人が生きて死ぬことや、老いることを含めて、「生きること(どう生きるか、なぜ生きるか)」についてどう考えるかということに関心があって、その周辺の本をたまに読んでいる。この本も、その一つだ。

 アルプスの山麓で、時代に翻弄されながら一生を生き抜いた男。その人生は妻との死別や徴兵などもあったが、総じてその時代にありふれた、しかし掛け替えのない人生だった。

 主人公のアンドレアス・エッガーは幼くして母と死別し、引き取られた農場主から虐待を受けながら育つ。エッガーは知恵遅れではあったが逞しく成長し、農場主のもとを離れて自力で懸命に働き、人生を切り開く。村の食堂で女性と知り合い結婚するが、雪崩によって奪われる。懸命に働き続け、ロープウェイの建設に多大な貢献を果たす。やがて第二次世界大戦が始まり、エッガーは自らの意志で参加、ソ連に赴く。戦後は地元に帰り、年老いたエッガーはこの地に精通したガイドとして人気を得るが、しだいにこの職を離れ、充実した孤独へと向かってゆく。

 エッガーの人生は、客観的に見れば、ありふれた人生の一つではある。けれども、そこにエッガー自身が「生きてきた」という実感を感じているからこそ、あらゆるものを失い、孤独になってなお、その人生は満ち溢れている。エッガーがこの境地にたどり着く過程に、私は感動した。達観することそのものではなく、その過程である人生がしっかり存在したということを、読んでいて感じた。だからこそ、充足した孤独を抱えながら死を待つエッガーの姿には「エッガーさん、あんたは懸命に生きてきたよ!」と、思わず胸が熱くなった。

 冒頭の「氷の女」にはじまり、数々の人物が提出する死生観は、エッガーと対比してみるととても興味深い。以下、参考になりそうなセリフを引用しておく。読書会にもよさそうだ。

 

死生観

「魂や骨や心や、一生のあいだしがみついてきたもの、信じてきたもの全部だ。なにもかも、永遠の寒さが食いちぎるんだ。そう書いてあるんだぞ。俺はそう聞いたんだからな。死は新しい命を生むって、みんな言うだろ。でもな、その〈みんな〉なんてのは、一番バカなヤギよりももっとバカなんだ。俺に言わせりゃ、死はなんにも生み出したりはしない! 死っていうのは、氷の女なんだよ」, 7

 

「氷の女は、山を超え、谷をうろつく。好きなときにやってきて、必要なものを奪っていく。顔もなければ、声もない。氷の女は、やってきて、奪って、去っていく。それだけだ。通り過ぎしなに、お前をつかまえて、連れ去って、どこかの穴に放り込むんだ。そしてな、土をかけられて、永遠に葬られる前に、お前の目に映る最後の空の切れっぱし――そこに氷の女がもう一度現れて、お前に息を吹きかけるんだ。そうすると、お前に残されるのは、暗闇だけになる。それと寒さだ」, 7

 

(ベテラン作業員トーマス・マトル)「馬鹿馬鹿しい。死ぬときにはなんにもありゃしないんだ。寒さもなけりゃ、魂なんてもっとない。死んだら死んだ、それだけだ。その後にはなにもない。もちろん愛すべき神様だっていやしない。だってな、もしも愛すべき神様がいるんなら、その神様の楽園ってのが、こんなにクソ遠いはずがないからな!」, 51

 

肉体

エッガーは13歳にして成人男性並みの筋肉を持つようになった。14歳ではじめて六十キロの袋を担ぎ上げた。

 

その言葉を、エッガーはその瞬間には理解できなかったが、一生のあいだ忘れることはなかった。「人の時間は買える。人の日々を盗むこともできるし、一生を奪う事だってできる。でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりとも奪うことはできない」, 45

 

「死ぬってのはクソだな」マトルは言った。「時間がたてばたつほど、人はどんどんすり減ってく。とっとと終わるやつもいれば、ぐずぐず長いやつもいる。生まれた瞬間から、ひとつひとつ順繰りになくしていくんだ。まずは足の指一本、それから腕一本。まずは歯、それから顎。まずは思い出、それから記憶全部。そんな具合にな。で、しまいにはなにひとつ残らない。そして、最後に出がらしを穴に放り込んで、上から土をかけて、それでおしまいさ」, 51

 

「俺のこのざまを見ろ。腐った骨の塊だ。この場ですぐに塵になっちまわないだけの命が、なんとか残っているに過ぎん。俺はな、一生のあいだ、まっすぐ背筋を伸ばして歩いてきたんだ。神様以外の誰の前にも、身を屈めたことはなかった。ところが、それに神様がどんな礼をしてくれた? ふたりの息子を奪ったんだ。俺自身の血と肉を、この体から奪ったんだ」, 94

 

達観

「新しい住まいの居心地は上々だった。高いところにあり、ときに孤独だったが、エッガーはその孤独を悪いものだとは思わなかった。話し相手は誰もいなかったが、必要なものはすべてあった。それで充分だった」, 132

 

「とはいえ、実のところ、村人たちの意見や怒りなど、エッガーにはどうでもよかった。彼らにとって、エッガーは穴蔵に住み、独り言を言い、朝には氷のように冷たい小川にしゃがんで体を洗う老人に過ぎない。だが、エッガー自身は、なんとかここまで無事に生きてきたと感じており、それゆえ、満ち足りた気持ちになる理由はいくらでもあった」, 134

 

「すべての人間と同じように、エッガーもまた、さまざまな希望や夢を胸に抱いて生きてきた。そのうちのいくらかは自分の手でかなえ、いくらかは天に与えられた。手が届かないままのものも多かったし、手が届いたと思った瞬間、再び奪われたものもあった。だが、エッガーはいまだに生きていた。そして、雪解けが始まるころ、小屋の前の朝露に濡れた野原を歩き、あちこちに点在する平らな岩の上に寝転んで、背中に石の冷たさを、顔にはその年最初の暖かな陽光を感じるとき、エッガーは、自分の人生はだいたいにおいて決して悪くなかったのだと感じるのだった」, 134

 

「出生記録」「子供時代と、ひとつの戦争と、一度の雪崩を生き延びた。決して骨身を惜しまず働き、岩に数え切れないほどの穴をうがち、おそらく小さな都市の住民全員の暖炉にくべる一冬分の薪に足りるほど多くの木を切り倒した。あまりに頻繁に天と地のあいだに渡した糸に命を預け、人生の後半には山岳ガイドとして、人間というものについて理解しきれないほど多くを学んだ。自分で知る限りではこれといった罪も犯さず、酒、女、美食といったこの世の誘惑にも決して溺れることはなかった。家を一軒建て、家畜小屋やライトバンの荷台や、さらにはほんの数日とはいえロシアの木の檻など、無数の場所で眠った。人を愛した。そして、愛が人をどこへ連れていってくれるのかを垣間見た。月面を歩く数人の男を見た……」, 139

 

 

ある一生 (新潮クレスト・ブックス)

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