もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

自作 - Etude "The three-hand" in G major.

 自作の練習曲を公開した。ピアノの弾けない人間が作った、弾けない練習曲。穏やかな雰囲気とは裏腹に、無謀な手の動きとアクセントを要求する。たぶん弾けないのだけど、では機械のための作品かと言うとあまりにシンプルすぎる。そんな中途半端な作品でも、この曲は自分にとってそれなりに思い入れがある。

 打ち込みでも、自分の気持ちが入る瞬間がある。それはプロほどではなければ、身体で弾いたときほどでもないけれど、ごく稀にある。これはそういうものの一つで、自分だけにとって少し特別な意味がある。

 この曲は、タールベルクの3本の手に刺激を受けて作った。2017年の夏のことだった。

 最初に決めていたことは2つだけだ。一つ目はもちろん「3本の手」風の作品にすること。両手が補い合いながら3本目の手を創り出す。二つ目は、一見穏やかで平易に聴こえるのに、実は恐ろしく難しいものにするということ。

 形式的には単純な三部形式、制作過程もほとんど思いつきの即興みたいなものだ。

 細かなところでは、最初のフレーズの歌い終わり(15小節)の修正をよく覚えていて、最初はドシラソーだったのをレシラソーにした。ちょっと五音音階に寄せて、和風にしたのだ。また、クライマックスは Es から Ces を H と読み替えて、よく分からないけどうまくハ長調に行けた。ここも最初は「ちょっと沈んで、一気に気持ちが溢れる感じで」ぐらいのイメージだったのだけど、自分の伝えたかった思いがうまく入ってくれたと思う。思いが溢れて、やっと伝えられる、やっと言葉に出来る、というような気持ち。これは私が舟歌ショパン)の dolce sfogato という特異な指示に対して抱く本質的な印象(その時々で気持ちは変わっても、揺らぐことがない)であり、少し大げさに言えば、音楽を表現する動機はそこにあるのではないかという、私の考えでもある。

 最後の最後で、譜面の書き方をシンプルにした。浮かび上がるメロディを正確に書くと煩雑になって酷く見にくかったので、見やすさを優先した。ショパンハ長調のプレリュードや嬰ヘ長調ノクターンの譜面で自らの楽想を正確に表現しようと推敲を繰り返したのに比べれば(比べられるわけもないが)、なんとも不誠実な態度だ。けしからん。

 全体は男性か女性かと言えば、明らかに女性のイメージだ(自作 - Prelude 20180924 - もの知らず日記 もそう)。つらい風雪に耐えながら、それを幾度も幾度も乗り越えて、時は流れてゆく。だから、無窮動だ。

 ……と言っても、こういうことを言葉にするのは野暮と言われて嫌われるし、音で伝える技量もない。きっと分かってくれる人も居ないだろう。そもそも、単一のイメージを共有してもらうよりは、多様な解釈があったほうが嬉しいから、何かを分かってもらうという気持ちは微塵もない。

 いずれにしても、気持ちの入った、という意味では、自分にとってだけは、やはり特別なものだ。


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