もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

今日の夢と考え

 夢のなかのピアノ売り場で、数々のピアノを試奏していた。安物のキーボードから高級な電子ピアノまで並んでいて、グランドピアノは無い。庶民は夢のなかでもグランドピアノを自分のものとして思い描くことは出来ないのだった。

 思い浮かんだ響きが自然に鳴る。夢のなかでも「自分は弾けない」と認識しながら自分の想念が音になる違和感を持ちながら、それが夢であるという自覚は持てずにいた。変ロ長調のゆっくりとした曲を弾きながら、どこかで弾いたような感覚を抱いている。

 遠くでは上手い人たちが曲を弾いていて、その周りにはオーディエンスの輪が出来ている。けれど私はそこから離れていろいろなピアノを弾いている。

 するとその輪を作っている一人である友人(つまり優れた演奏者である)が、鍵盤から顔を上げて「どこかから、なんかいい音楽が聴こえてくるな」と弾きながら言うのを聞いたところで目が覚めた。

 

(私自身がどう評価されたいかという願望が明確に現れている。(1)多くの人に称賛されたいというよりは、ごく一部の、私の尊敬する人に認められること。(2)「この人がすごい!」というように大々的に取り上げられて自分との関連を明確にされるよりは、「どこかから聴こえてくる」という程度に存在を認知してもらうこと。これが満たされるのが究極の理想であると、心の底から思っているのだと思う。究極の理想と言うのは、仮に、「自分が世界一のピアニストである」と妄想を広げても、それくらいが理想だということである。世界一うまいという妄想を仮定しても、自分という存在は出したくない。それはサロン志向だとか、中二病などではなくて、目立ちたくないというのが本能レベルで刻まれている気がする。ストリートピアノへの違和感の理由も少し分かった気がする。)