もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

練馬区立美術館ショパン展

 今更だけど、練馬区立美術館でショパン展を見てきた。6月14日と最終日28日で2回訪れた。このショパン展は、コロナ禍で時期は遅れたものの、兵庫、福岡ときてついに東京にきた。やはり見たかったのは練習曲ヘ長調 (op. 10-8) の自筆譜とシェフェールによるショパン肖像画。アリ・シェフェールと聞いてピンと来なくても、絵を見れば「ああ、これか!」となるくらい有名な肖像画

 せっかく行ったのでメモを読み返しつつ、思い出しながらメモしてみる。

 展示もストーリーを感じるものでとても面白かった。まず現代のアートを通じて、現代の人間に解釈された現代のショパン像が見えてきて、そこからショパンが生まれ育ったワルシャワの雰囲気を知り、ショパンが生きた時代のポーランドの歴史を知り、パリ時代のショパンの友人らが紹介されてゆくと、ついに「真実のショパン」と題したショパン自身に迫る楽章にたどり着く。最後にショパンコンクールから「ピアノの森」に繋がるのも「いいなぁ」と思った。日本におけるショパン普及の歴史も、多くの人にとって興味深い展示だったと思う。

 ただ正直に言えば、私の関心はショパン音楽と人となりとその周辺にしか無いので、自分の趣味の狭さを感じたりもした。

 シュピースによる版画集(1912作)。前奏曲集をテーマにしたこの連作版画集は「自分のイメージとどう違うか?」というところで楽しく見た。題名を見ないで、どの曲かを想像してから見るのも面白い。真っ暗なやつは「これ、絶対イ短調!」と爆笑。

 聖シュテファン大聖堂(H.ビビー原画、アルバート・ヘンリーペイン版画、c. 1850作)。解説には書かれていなかったけれど、夜の大聖堂を一人訪れたショパンは、ここでロ短調スケルツォ(作品20)を思いついたと言われている。「ショパン全書簡 ポーランド時代」を参照。

 有り金すべて(Jan Feliks Piwarski, c. 1845作)。Ostatni grosz. 妹エミリアの療養のために訪れた鉱泉療養地バート・ライネルツはこういう感じだったのかな。背の高い樹に囲まれ、思った以上に田舎っぽい。(一時期国粋主義的な視点などから覆い隠された)ユダヤ人文化との接点でもある。

 ワジェンキ宮殿(Marcin Zaleski, 1836-38作)。こんにちショパン・コンサートが開催される場所。彩色豊かで、涼しさが感じられる絵画だった。他の観覧者から「きれいー」という声がいくつも挙がっていて和んだ。

 ヴィラヌフ宮殿(Wincenty Kasprzycki、1834以前作)。ゴシック様式ショパンも演奏したことがあったんだっけ……違う?

 ショパンの死(Félix-Joseph Barrias, 1895作)。ショパン好きには知られた絵。実際にだれが臨場していたのかは問題となる……。勝手に名乗り出た人びとは、ショパンの死すらも利用しようとしたということなのか、といつも思う。

 ショパンに関わる人たちの肖像画ショパン関連の本でしばしば見かける肖像画の現物というので興奮した。「著名なピアニストたち」はローゼンハイン、ヴォルフ、デーラー、ショパン、ヘンゼルト、リスト、ドライショック、タールベルクが勢ぞろい("La Revue et gazette musicale de Paris", 1842年2号購読者のための付録)でややヘクサメロン(違う)。他、リスト(シェフェール原画)、エルツ、タールベルク、カルクブレンナー(ショパンがカルクブレンナーの協奏曲を弾いたのは14歳のときだった!)。ピクシスとツェルニーはお留守番。

 ケルビーニをボッコボコにけなすショパン。書簡1831年12月14日付。コテンパンで笑う。既存のピアノ教育法とは一線を画す思想とスタイルを明確に持っていたのだろうなぁと改めて思う。

 ヴィクトル・ユゴーとマリー・ドルヴァルの肖像(ブージュ ニコラ・ルイ・ドノロワのリトグラフ工房、1839)。「あなたを熱愛するものがいる ジョルジュ」と書いたカードをショパンに渡した、という逸話は知っていたけれど、マリー・ドルヴァル (Marie Dorval) がその何倍も大きな文字で「わたしも! わたしも!わたしも!」と書いているのは知らなかった。笑う。

 ショパンの肖像(アリ・シェフェール、1847)。死の2年前、ショパンシェフェールのもとを訪ねた。シェフェールはたびたびショパンのスケッチをしていて、この肖像画は2枚が作られた。展示されていたのはシェフェール自身によって保管されていたもの。この肖像画ショパン本人に渡したものよりも小さいというのだが、それでもなかなか存在感がある。なんだかんだ言って私は一番好きな肖像画。それにしても、ショパンシェフェールはいつ知り合ったのか?

 ポーリーヌ・ヴィアルドによるショパンの戯画には笑った。鼻がでかい。目が小さい。これが残っているというのもすごい。友人であり書簡にもたびたび現れる。

 自筆譜。Op. 10-8 と Op. 71-3. の自筆譜。館内ではプレイエルによる演奏が流れていた。Op. 1 のロンドは印刷譜だから一瞥してスルーした人も多かったようだけど、実は鉛筆による指示が加えられた貴重なもの。弟子へのレッスン中に書かれたのだろう(説明には、単に「ロンドの初版」みたいなことしか書いていなかった気がする)。16分・8分・16分で「タターンタ」となる部分に鉛筆でマルカートの記号が書いてあるのと、臨時記号の追加、訂正。レッスン中に弟子に分かりやすくするために書いた様子が思い浮かぶ。

 ショパンの呼び鈴ショパンが最晩年に使っていた「かもしれない」呼び鈴。中国趣味の布袋像で、正直可愛さは皆無、笑った。これはショパンの死を看取った一人ルドヴィカ・マグダレーナ(ショパンの姉イェンジェイェヴィチの娘)の息子アントンの息子のヘンリクのご息女クリスティーナ・チェホフスカ=ゴウェンビェフスカさんからNIFC(国立ショパン研究所)に寄贈されたものとのこと。ショパンの姉の娘の息子の息子の娘! (玄姪孫と言うらしい。げんめいそん? やしゃめいまご?)

 ショパンの手。クレサンジェによる型からのレプリカ。指が長いけれど、特別大きくは無いと思った。10度をレガートで弾いたと言うけれど、かなり手首が柔軟だったことが窺える。

 その他。有名なドラクロワによる肖像画。日本のショピニスト。「ピアノの森」の原稿! その筆跡に大興奮。あと、ジョルジュ・サンドのところの音声ガイドのBGMが舟歌で、フフン、となった。

 そんなこんなで、楽しい時間を過ごした。一日出てこられなかった(笑) 最終日はさすがに混んでいた。メモを元にした思い出しの殴り書きなので正確性はご容赦を。