もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「パイの歴史物語」

03/12 : ジャネット・クラークソン「パイの歴史物語」

 クリスマスのミンスパイや感謝祭のパンプキン・パイは、栄養に富むおいしい食べものから強力なシンボルへと進化して生きのびた。しかしごくふつうの、毎日過程で手作りされていたパイは、時代の変化の波に飲まれ、淘汰されつつある。現代のように、人びとが時間に追われ、高カロリー食品が敬遠される世界で、パイに未来はあるのだろうか? (p. 161)
 パイとはなんでしょうか。だれもが「そんなの分かるよ」と言ってしまうような問いも、1927年のタイムズで白熱をみせたパイとタルトの違いをめぐる論争によって読者はパイの迷宮に引きずり込まれます。パイといえば、あの網目状の蓋が思い出されます。しかし蓋がない「プディング・パイ」なんて言うものもあったりして、いよいよパイの本質は分からなくなります。

 そこで歴史的にパイをみてみると、容器として使われていたという驚くべきことが分かります。それはグラタン皿のような耐熱容器であり、お弁当箱のような収納容器であり、いまでいう真空パックのような密閉容器だったのです。ウィリアム・サーモン (1695) の『家庭の辞書、あるいは家政の友 (Family-Dictionary, or, Household Companion)』いわく、イノシシのパイは「じめじめした場所に置かなければ、まる1年もつ」とか。パイはその優れた保存性のために、遠く離れた地で学ぶ息子や戦場にいる夫に送られるようになります。具体例として、1638年、ヘリフォードからオクスフォード大学の息子にパイを送る母の話が紹介されています。GoogleMapで測ってみたところ、105.62Km. クール便もないのに、常温のまま数日がかりで息子にパイを送るというのはかなり不安ですが、きちんと密閉されていたようです。

 当初は食べものというよりは容器として主に用いられていたパイが、やがておなじみの美味しい生地が作られるようになってから食べものとなり、密閉され保存性に優れたそれはイギリスの各地を飛び回り、イギリスでは携帯しながら食事をとれる合理性が好まれ800人の軍隊が行軍中の7分半のあいだにパイで食事を済ませていたとか。他方では豪華な装飾を伴ったり、中に意外性のあるもの(生きた小鳥・カエルなど)を仕込んだりと、イベントに定番の食べものとなってゆきます。ハトの足が出た「ピジョンパイ」のイラストがありますが、こんなので食欲が出たのでしょうか……。

 さらにパイは、17世紀から18世紀にかけてアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどにも広まってゆきます。しかしアメリカでパイといえば甘いものであり、オーストラリアではミートパイ、ニュージーランドではマトンパイ、各地でさまざまな意味づけがなされていったようです。

 小説、たとえばディケンズなどは、パイを「目くらまし」として多く描いたようです。家庭でも在り合わせのものでつくれる料理だったそれは、言い換えれば「ごちゃ混ぜでなにが入っているか分かったものではない」ということです。「子牛の肉のパイはいいもんだ。それを作った婦人が知り合いで、そいつが子猫の肉ではないとわかっているなら」 あるいは復讐法として、シェイクスピアは敵の子供の肉でつくったパイを、敵に悟らせずに食べさせるという場面を描いていたとか。「何が入っているか分からない」というのは、楽しみでもあり、恐ろしいことでもあったのだと思います。

 パイのわくわく感を感じながらパイを食べてみたい、と思わせてくれる本でした。