もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「犯罪者の自伝を読む」

03/26 : 小倉孝誠「犯罪者の自伝を読む」

 普通に人生を過ごしていたならば、みずからの生涯を書き綴るという自伝行為とは無縁であったはずの彼らは、社会の法と秩序に背いた結果として、言葉に遭遇した。監獄という孤立と、監視と、沈黙の空間に置かれた時、(中略)はじめて、彼らは自己を語る機会をあたえられ、自己を語る快楽と困難を知ったのである。 (p. 177)

内容

 犯罪者という”本来反省すべき人たち”が自身の罪や人生を語るとはどういうことなのか。彼らは自伝を書くことによって社会へ弁明を行い、あるいは自己と対話を重ねてゆきます。

 社会と自己に対して訴えかける「自伝」の分析をつうじて、彼らがおかれた社会的な環境、犯罪者として生きざるを得なかった背景、またそれに対する(政府や人民といった)社会の犯罪への認識を読み取ることのできるおもしろい本です。

自伝を書いた犯罪者

 本書で大きく取り上げられているのは4人で、いずれも殺人を犯した人々です。

ピエール・リヴィエール (1815-40)
 1835年6月3日、フランス北西部ノルマンディー地方の町カーンにて、父を迫害し苦しめていた母と、それに加担していた妹と弟を鉈で殺害した。愛する父を救うという神の正義の遂行、自伝の言葉を借りれば「神がその摂理を証明するため」の犯行だったが、自伝のなかで悔悛の情を示す。7月2日逮捕、翌1836年2月に死刑から無期刑へ減刑1840年10月に刑務所内で首をつり自殺。

ピエール=フランソワ・ラスネール (1803-36)
 1835年(7月王政期)、セーヌ県重罪裁判所に出廷。窃盗、手形偽造、殺人など30項目に及ぶ容疑で逮捕され世間の注目を浴びた。リヨン市に店を構える商人の子で、少年期から孤独で読書を好み才能と知性に恵まれていたが、家庭や社会での不遇から「社会の災厄(『回想録』)」となることを決意した。1836年1月9日に処刑。

マリー・ラファルジュ (1816-1852)
 1840年1月、フランス中部リムーザン地方の村ル・グランディエを仕事で滞在していた夫(14日死亡)をねずみ駆除用のヒ素で殺害したとされる(冤罪の疑いあり)。貴族の地位を得た父と富裕な土地所有者の家系を継ぐ母のもとに生まれ教養豊かな女性だったことから、冷徹傲慢な妻が、勤勉な夫を殺害したという構図のまま裁判は進行していった。有罪確定後に無実を訴えるために『回想録』を記す。1840年9月19日終身刑宣告、1852年6月1日健康状態の悪化にともないナポレオン三世の恩赦により釈放、同年9月死去。

アンリ・ヴィダル
 1901年1月、南仏エズの駅にて、痴情と金銭関係のもつれから結婚の約束をした女性ジェルトリュード・Hをナイフで殺害した。直後に、ほか3人の女性を殺害したことが露見。数週間で230ページにわたる自伝を記し、「盗み目的の犯行」とする俗説へ反駁、愛されるべき母と義父からの冷遇に端を発する自己消滅への欲求が根底にあったことを吐露している。

ルイ・アルチュセール (1818-90)
 1980年11月16日早朝、自宅の寝室で妻エレーヌを扼殺。名声ある哲学者だったため世間の注目を浴びた。「心神喪失」ないし「夢幻譫妄」として予審免訴。責任無能力となったがゆえに司法の場での釈明は許されなかった。1982年ソワジーの精神病院から退院、1985年に自伝を記す。

永山則夫 (1949-97)
 横須賀米軍基地から拳銃を盗み、1968年10月から11月にかけて全国各地で4人を殺害。正体の暴露を恐れての犯行だった。劣悪な環境に育ち十分な教育を受けていなかったが、獄中で著作活動をおこなって印税を遺族に送るなど、獄中で悔悛を示す。1990年最高裁の「永山判決」により死刑確定、1997年8月1日執行。

自伝を表す動機

 この本では、自伝を表す大きな動機を4点挙げています。大多数の自伝作家は(1) 自己認識(書くことで自己を再認識する)のためですが、(2) 快楽(自己を語ることの欲求や楽しみ)、(3) 自己弁明(自身の行為の正当化や不当な言説への反駁)、(4) 社会的・倫理的効用(自身の生涯、経験が役立つ)。

 本書に登場する犯罪者自身にとっては、自己弁明の動機は極めて強いと考えられます。父を阻害する母親へのただならぬ憎しみ、家庭での不遇に端を発する排除的な社会に対する復讐、自己消滅に対する欲求、あるいは自身は潔白であるという弁明、それらを社会に伝えたいという欲求があります。例えば、”社会の災厄”となることを決意し、殺人などの犯行に及んだラスネールは、『回想録』に このようなことを書いています。
 私は殺人を説き勧めようというのではなく、あなたがたが自分のために自然のなかで築きあげた残酷な秩序に抗議するためにやって来たのだ。そしてその抗議状を、他人の血で書き記したのである。抗議状にサインし、封印するときには、自分の血を流すことになるだろうと知っていたから。私は恐怖の宗教を金持ち連中に説き聞かせるためにやって来たのだが、それというのも、愛の宗教は彼らの心にいかなる影響力も及ぼしえないからである。 (本書, p. 70. Lacenaire, 1991, p. 117)
 犯罪者自身が自己弁明、また自己認識のために自伝を書く他方で、犯罪を解明する立場からも、犯罪者自身に自伝を書かせることが勧められます。つまり、人を犯行へと動かす要因を解明するために自伝を書くことを薦めたようです。