もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ツイッター、疲れているシリーズ

 ツイッターで疲れたときのぼやきを書いていたのだが、だいぶ溜まってきたので一部補足しつつまとめてみる。「町長もっこり」と「陰部」はお気に入りなのだが、どっちも下ネタじゃねぇか、というツッコミを自分で入れざるを得ない。

 

  • おだぎり」さんを「おにぎり」さんと空目する程度に疲れている&腹が減っている。珍しい名字だなぁ、じゃないんだよ、自分よ。
  • 電車でGo! の「光の運転士」を「死の運転士」と見間違える程度に疲れている。どんな運転士だよ…まぁ、いっか。
  • 蒸気機関車で開業」が「蒸気機関車が爆笑」に見える程度に疲れている。トーマスじゃないんだから。灼熱の朝です。
  • 峰王強し!」を「棒玉強し!」と空目してしまう程度に疲れている。
  • 家のドアロックにパスモをかざして数秒後にハッとする程度に疲れている。
  • 連休」を「遺体」と空目してしまう程度に疲れている。つまりそこそこ元気な一日でした。
  • 多摩地区」を「田町区」と脳内変換して数秒「???」となった程度には疲れているので眠る……。
  • 愚者」を「患者」と見間違える程度に疲れている。つまりそこそこ元気です。
  • 病院のページで、一般的には「7-10日でだんだんよくなってきます」という説明を「7-10日でどうでもよくなってきます」と見間違える程度に疲れている。
  • 日本醤油技術センター」を「東京靴流通センター」と見間違える程度には疲れている。
  • 合唱」を「合鴨」と空目する程度には疲れている。寝ます。
  • 町長もにっこり」を「町長もっこ」と空目する程度には疲れている。
  • お箸」を「お墓」に空目してしまう程度には、疲れている。
  • 丸すぎるアザラシ」を「汚すぎるアザラシ」と空目した。汚すぎるのは私の心であった。― 完 ―
  • 葛粉」が「葛飾」に見える程度に疲れている。
  • 」が「オロ」に見えて、「オロ食って、なんだ?」と五秒ほど考え込む程度に疲れている。
  • 樹木希林」を「じゅもくきりん」と読んで「…………じゅもく??」となる程度に疲れている。
  • のだめの練習曲」に見えてビックリして見直したら、「ピアノのための練習曲リゲティ作曲)」だった程度には疲れているので圧倒的就寝。
  • フォーマルな美肌感」を「ネイマールな美肌感」と空目するくらいには疲れている。
  • 陸部」が「陰部」に見えて一瞬「?!」となる程度には疲れている家路。
  • 稲城平和コンサート」が「脳髄平和コンサート」に見えたので、かなり疲れているなと思った。
  • 弾き語り」を「弾き笑い」と空目した。どんな新ジャンルだ……。
  • 視界の片隅に「殺されカフェ」という文字が見えたので慌ててあたりを見直したら、それは「愛されカフェ」だった。隙間ともいえない、とんだ新業態だ。やはり疲れているのかもしれない。(いつも疲れているね!)

 

…………なかなか疲れてばかり居るようだ。

今日の夢

久しぶりに明晰夢に近い面白い夢だった。別の世界線の、2002年にタイムスリップする夢。

 

………………

 

 ファッションのコンテストか何かのあと。モデルの子とやりとり。「どう、すごいでしょ?」「まいったなぁ」みたいな内容だった。

 彼女の指に指輪をはめる。石ころほどの、とても大きなダイヤ。彼女の視点に移った(視聴していた、「ランウェイで笑って」の影響だろう)。

 そこで先生に会う。先生は丸い頭の両脇にうっすらと白髪を生やしていて、人に好まれそうなかわいらしい顔をしていた(起きてから思いだすと、その風貌は天皇の料理番秋山徳蔵さんだった)。詳細は忘れたが、何かが進みだしたという感覚と、また後で会おうと話したのは覚えている。

 食事をしている。ログハウスのテラス。裏にはテニスコート。この時代を2時に去ることを決め、誰にも見られない場所で静かに迎えようと思った。

 母や友人との最後の時間。私がいなくなったまま、この時間軸の未来は続いてゆくのだと思うと、涙が出た。私は彼らの未来を見届けることが出来ない。どうか幸せに過ごしてくれよ。

 場面が飛んで、気がつくと卓球をしている。体育館というよりはスペースぎりぎりの卓球場。中学時代の友人Oくんがラケットを貸してくれた。思い出しながらサーブをするがうまくない。そして相手がいない。少し寂しい思いをしつつも卓球場を去る。別れ際、友人に「ここに来られてよかった、ありがとう」と伝えた。

 時間が迫っているので急ぐ。やることをやりきろうと思った。そう言えば先生と話すのだった。研究室へ向かう。階段を2階3階とあがると、なぜか体育館の観客席に出て、体格のよい先生に呼び止められる。

 彼が言うには、5号館で云々とのこと。しかし自分にはそんな約束をした覚えがない。「しかしそれを説明しても言い訳ととられるだろうと思ったし、約束をした証拠はあるのか、とも怪しく思った(起きてから思うに、それは大学と病院をごちゃまぜにしたような場所だった)。

 そんなことを思いつつも、「5号館って、あの体育館の方の?」と聞く。

 2時を過ぎている。廊下にひしめく学生たちを避けながら廊下を進み、掲示板の前に来て先生にあとで訪ねるように言われていたのを思い出す。しかし訪ねるべき先生の名前も分からない。ちょうど近くにいた女の子に「禿げた頭の優しそうな先生の名前は分かりますか」と聞くと、ちょうどそこに先生が現れて気まずい思いをした。

 何らかのやりとりがあって、自分が2020年から来たことを話していなかったことに気がつく。先生は「意識が戻りつつあり、もとの意識と混ざりはじめているのかもしれない」と言った。近くの小さな部屋に入り、脳波を測るための準備をしている。小さなテーブルのうえに、家庭用の血圧測定機のようなものがある。私はその横に座った。「痛いのは嫌ですよ」と私が言うと、「痛い検査はないよ、たぶん必要がないからね」と言った。ああよかった、と思ったら目が覚めた。

「100日間のシンプルライフ」

 久しぶりに映画を観た。「100日間のシンプルライフ」。予告編で主人公ら男二人が身ぐるみをはがされてすっぽんぽんになってベルリンの街を走っているのが最高に面白くて、これは観るしかないと思った。あと、内容的にもスマホ人間*1が嫌いな旧型人間の私にはうってつけだと思って選んだのだけど、なかなか当たりだった。

 評論でもないから感想だけ書くと、まず物質主義・消費社会への批判というメッセージが予想よりも全体的に現れていた。かつて人びとは物を持たず、窮乏し、それでも自由や未来を信じた。しかし今の私たちは1万個ものモノを手にしながらも、心を満たすことが出来ないままに生きている。モノを持つことはそんなに幸せなことだろうか? スマートフォンを握りしめることは、あなたの人生にとってそんなに大切なことだろうか?

 そんな問いかけに、観客は主人公らとともに考えざるを得ない。どちらかというとお笑い路線なのかなと思っていたのだけど、そうではなかった。

 一例を示すと、主人公二人はかつて恋人を奪った―奪われたということで確執がある。これもグローバルな収奪や、使い捨てにする消費社会への批判になっている。本当に大切なものをたった一つ手に入れただけで充足している人間を妬み、奪い、それでも自身は満たされないまま、隙間を埋めようと同じことを繰り返す。

 あるいは、買い物依存症のヒロインは、よりハッキリと、消費がもたらす仮初の幸福感と、消費「させられ」続ける人間の病理を描き出す。

 もちろん、この映画を見ても「いうても世の中便利で楽しいし、そんなん知らんよ」という態度もあるのだけど、それでも私は、自分にとって本当に大切なものは何だろうかと、考えてしまった。

 あとは、ザッカーマン(ザッカーバーグっぽい)なるキレ者のIT起業家がリンゴ(アップル)を食べる隠喩や、元となったフィンランドドキュメンタリー映画へのオマージュとしてフィンランド語が登場したり、ニヤリとするところもあった。

 とはいっても、この映画を堅苦しいメッセージの映画として真面目に見る必要はなくて、ふつうにコメディとして笑って観るのが一番かなと思ったし、私は基本的にはそうした。主人公らのドタバタ。そして全裸でベルリンの街を大疾走。草原のなか全裸の主人公を前にしても一切狼狽ることのないヒロインに、こんな女性がいたらなあ! と思ったりもした(アパートの踊り場で全裸のまま慌てる主人公に遭遇した母子が淡々と「ペニスよ」と言う場面も最高に笑った。欧米って、ドイツって、そういうものかしら?)。

 コロナ禍で映画館はほとんど人がおらず、また声を出してはいけないのだが、私は肩を揺らしながらくすくす笑いながら観た。

*1:歩きスマホをしたり、人と話していてもスマホをいじったり、電車でもひたすらスマホをいじるなど、スマホ依存症とも言える一定の行動パターンをとる人びと。

新年を前にパソコンを破壊してしまった

 今回の件を、私は「スーパークソバカゲロゴミデラックス事件」と呼んでいる。「新年早々パソコン壊滅す」に続く、パソコン壊滅シリーズの第2弾である。2012年発売より8年来使ってきたこのパソコンを壊してしまったのだ。

 その話もなんということはない。置換したばかりのテレビ用SSDが容量オーバーで破損し、可能ならばデータ救出、最悪ならフォーマットを試みようとしたがそもそもWindowsでは読み込めないのでUbuntuをディスク起動して読み込もうと思ったが何を考えたかパソコンにインストールしてしまい、パーテーションの設定をごちゃごちゃいじくりまわしてWindowsを破損させ(!)、なんだかんだでUbuntuWindowsも起動不能にしたという、どうしようもないクソバカ事件である。パソコン致死傷で禁錮5年である。

 時間を戻せるなら、まず12月3日に戻って私をボッコボコにタコ殴りにしてから、さらに12月2日に戻って「Ubuntuでも開けないから別の方法を探せ」とアドバイスしたい。過去に戻れるなら絶対にそうする。あるいは最初から大容量のHDD/SSDを用意することである。二兎を追う者は一兎をも得ずどころか、一兎を追いかけて全財産を剥がされたようなバカ具合である。

 かつてお茶をこぼしてからASDFをはじめとする中央列が壊滅したのを外付けのキーボードでしのぎ、性能にそろそろ不満が出てきたのをSSDへの換装で解消し、コツコツ使ってきたのに、その最期はこのようなものであった。慚愧慚愧慚愧。自戒切腹介錯無用。とにかくこの事件を肝に銘じた。熱いコテで焼き入れたつもりである。

 それで、パソコン等の回収を Renet という自治体と連携している業者に頼み、日時を指定して佐川急便に引き取ってもらった(これも参考になるかは分からないが、うまくいけば書こうと思う)。

 こういう経緯ではあるのだが、いま8年ぶりのパソコンを選んでいるところである。いい加減、パソコンや電子機器に手を加えるときは、どんぶり勘定ではいけないということを、私は学ぶべきである。いや、そもそも本質的に「叩けば治る」的発想を持っている人間なので、手を加えるべきではないのだ。

 今回の出来事がなければ、SSDに換装した Aspire 5750 はまだまだ動いたことだろう。お茶をこぼさなければ、キーボードも難なく動いたことだろう。悔やんでも悔やみきれないことである……。

 すまない、我がパソコン。合掌。

今日の夢

 引きこもりの父。私は実家に暮らしている。休日なのに父はいつも一日中家にいて、それを私は疎ましく思っている。今日も「外に出ろよ……邪魔だなあ……」と独り言をぼやきながら、家では休日も休まらないから外に出る。

 知らない街にいる。江戸時代の城下町風の街並み。少女がいて、彼女の案内についてゆく。

 「ひとけがないですねぇ。こんなんじゃ、さらわれそうだ」と男性の声でナレーション。木の葉のトンネルをくぐると、なだらかに下った広い砂利道で、眺めが良い。

 「秘湯探しのプロ、ますますひとけのないところにやってきました。わたしたちどうなるんでしょうか」と、またナレーション。どうやら彼女は秘湯のスペシャリストであるらしい。

 西洋式の整った庭園。ヴェルサイユ宮殿の庭園を思わせる。円形の池の真ん中に噴水があり、奥の方にまた噴水がある。実はこれが温泉で、数人の人が入っている。

 それを見て、「やたらにきれいだなあ、市町村がお金をかけたって感じだ」と思ったところで目が覚めた。