もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

雑感

東京の地下鉄にまだ残る冷水器

「冷たい水、無料で飲めます!」東京の地下鉄にまだ残る冷水器 メトロは全廃したのにナゼ?(乗りものニュース) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/d4210fc1b54876abc124b8fe7aba4f9fcae00654

 言われてみれば、外で水道水を飲んでいる光景を見なくなった。私が子どもの頃は――2000年代が遠い過去だとは信じたくないが――冷水器の水どころか、飼い主が犬猫に飲ませているかもしれないような、公園の蛇口の水ですらがぶがぶ飲んでいた。今の子どもたちはどうだろう。私ですら今では冷水器や蛇口の水を飲むことはない。子どもにしても、蛇口の水は汚いから飲ませないという親が多いのではないだろうか。寂しいことに、身近には全くサンプルが無いので分からない(自嘲、笑)。単に私が目を向けていないだけのような気もするけれど。

すずめ

 Youtubeショートのすずめが集っている動画に「かわいい」というコメントが多く寄せられていた。しかし私はまっさきに「こわい」と思った。これは私の考えだが*1オープンカフェのテラス席でスズメの群れに食事を狙われた経験のある人なら賛同してくれるものだと信じている。すずめにせよ、どんなに可愛く見える生き物にせよ、動物というのは、本質はしたたかなものだ。生きようとしているのだから。

 カフェで通りに面したテラス席でご飯を食べていると、ほとんど必ずすずめが狙いに来る。足元をぐるぐる回ったり、テーブルの近くに降り立ったり、ホバリングしたり、目の前を横切ったりする。客が立ち去ったパン皿を、パンくず目当てのすずめが目いっぱい取り囲んでいるのを見たこともある。一・二匹なら愛らしいかもしれないが、正月の売り出しセールのように何十匹も殺到するのだから、貪欲としか思わない。私は、他の生き物(特に野生の生き物)を可愛いと思うときには、同時に人間との隔たりも忘れないようにしている。

句読点

 この1,2年で感じていることなのだが、ラインで句読点(「。」「、」)を打たない人がとても多い。体感的には、仕事関係を含めて、40代以下 (or lessの意)の人は9割くらいが句読点を打たない。代わりにビックリマーク(エクスクラメーションマーク、「!」)や顔文字で文章を区切る場合が多い。

 理由としては、句読点を打つ手間を省くのもあるのだろうが、一番は、感情を伝えることなのだろうなと思っている。つまり、文章以外の情報を伝えて、より分かりやすくするために、ビックリマークや顔文字を付加するスタイルが確立したのだと思っている。反対に句読点だけの文章では、実際に内容がユーモアに溢れていても前後の文脈を読み取らなければならないから(手間を掛けても誤解する恐れはあるが)、瞬発的なコミュニケーションにはそぐわない。文脈を読み取らないとなれば、単に無表情で「怖い」ということになってしまう。

 ちなみに読点の打ち方も人によってだいぶ違うけれど、私は比較的読点の少ないほうだと思う。私が読点を打つタイミングは、音楽のスラーのように一つのフレージングを表すのが基本で、あとは読みやすくする場合が多いと思う。具体的には、修飾関係を明確にしたり(例:「Aさんと友人のBさんが私の家へ来た」)、ひらがなが繋がって別の意味になってしまう場合(例:「ここではきものを脱いでください」)など。あとは、「これくらいなら読んでくれるはず」と、仮想上の読者に丸投げしている(笑)

*1:こういう個人の感想は、Xではなくブログに書くことにしている。というのも、誰でも偶然に目にする可能性のあるXよりは、能動的に訪れなければならないブログのほうが、他人の目を汚すことは少ないと思うからだ。