もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

新年人生観

 12月31日、川崎のホテルのカフェでこれを殴り書きしている。しばらく筆不精だったのだけど、この一年は色々なことがあったので、振り返っておこうと思っていた。今の私の考えを書いておきたい(今さら書き直して公開するので、新年一発目からこのポエムを晒すことになってしまった)。

 この数年で私のライフステージも新たな段階へと至り、立場も変わり、人生観にも変化が出てきた。かつては若者として自由を謳歌し、責任という言葉を毛嫌いしてきたのだけれども、この数年で、責任を持つこと、より広く言えば、何かを背負って生きることもまた大切なのだと、(遅すぎたのかもしれないが)気づき始めている。

 一番分かりやすいのが、いじめ問題に対する考え方の変化だ。若い頃の私は、いじめられるなら学校など行かなくて良いと思っていたし、その答え自体は今でも変わらない。けれど今の私は、人間いつかは、何かと闘わなければならないのではないかと思うようになっている。

 それは必ずしも今すぐに戦えということではない。ただ、生きる限りは自分に不利な状況が立ちはだかることは必ずあるし、それでも何かを守るためにやるのだと言わなければならないときが来ると思うのだ。

 それは、必ずしも今ではない。命を失うくらいなら、撤退するほうが賢明な選択なのかもしれない。けれど、いつかは、何かと、闘うときは来るものだろうとも思う。

 こう考えるようになったのは、私自身にとって、死というものが見え始めているからかもしれない。それは眼の前に差し迫ったものではないけれども、かといって見えないほど遠いというわけでもない。そもそもを言えば、明日死ぬ可能性さえあるわけだが、そういうことを抜きにして「順当に生きられたとしても」死というものが見えてきたというのは、他者からはどうでもいいことに違いないけれど、自分自身にとっては極めて重大な意味を持つ。

 死というものが見えてくると、自分の生き方を考えるときにも、自分の終わりのことが視野に入ってくる。そこで、逃げ続けた人生とはどういうものになるか、という空想が浮かぶのだ。

 私はそれが幸せなものになるとは思えない。当人は幸せだと思っていても、どこかで後ろめたさや満たされない思いが残るものだろうと思う。ひとつ告白すれば、そのシナリオを突き進んでいるのが、私の父なのだ。自尊心が強く、他人と社会関係をうまく築けず、就職活動もせず、完治したはずの傷病を言い訳にして、ずっと引きこもっている。夫としての責任を投げ出し、私の母の脛を齧っている。それなのに、どこまでも尊大で、しかしときおり自分を卑下したりもする。ある時誰かのブログの記事で、父親が無業状態に陥りそのまま数十年後に自殺したという話があったのだけれども、その人となりやライフストーリーなど、結末以外はまさに私の父と同じだと思った。私の父の結末も、そうならないとも言えない。

 逃げ続けた人生は、自分だけでなく周りの人間をも不幸にする。その精神は、強い自責の念と、それを覆うように、自責の念以上に肥大化した虚飾の自信によって歪みきってしまう。誤り続けた人生を受け容れるだけの強さも、今からでも取り返そうと思うだけの素直さも、ない。

 もはや彼にはどんな言葉も届かず、対話することは不可能であるように感じられる。十年あまり、様々な対話を試みたが、もはや彼を一人の大人としては見なしていない。こう書くと我ながら父親不孝だと笑うしか無いが、彼は「大きな子供」なのだ。大人として、長男として、夫として、父親として、責任を果たさぬ彼は、正真正銘の65歳児なのだ。

 だからこそ、私は、逃げ続けることだけは、間違った生き方なのだろうと、確信している。もちろん私は、一時的に逃げることはまったく否定しないし、むしろ大切だとさえ思うのだけれども、人間何かを背負って、それを守るために、逆境に立ち向かい、踏ん張るということも必要なのだろうというのが、今の私が、頭の中の空論で無しに辿り着いた、血肉の通った考えなのだが、どうだろうか。