もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ゲームと出会いの記憶

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 振り返ると、インターネットの儚さを感じざるを得ない。かれこれ20年以上をインターネットとともに生きてきたが、始めたころの痕跡はもう残っていない。だから私の記憶の中にしかないのだが、もはやそれも薄れつつあり、細かな時系列もすっぽ抜けている。それでも、覚えている限りで私の思い出を、ばらばらにでも並べてみようと思う。

 かつてスーパー正男というゲームがあった。これは名前の通りマ○オのようなアクションゲームで、ステージやキャラクターを自作出来るのが大きな特徴だった。当時小学生だった私も、当時読んでいたゴルゴ13に刺激を受けて、黒いワイシャツに白いスーツを着た男が亀を踏んづけるゲームを作った。敵キャラクターまで作り込む根気はなかった。有志による製作支援ツールのおかげで、プログラミングの知識はまったく要らなかった。このカスタマイズの自由さと簡単さがあったから、とても多くの人が自分なりの「スーパー正男」を作っていた。今で言うまとめサイトのような、個人サイトを束ねるリンク集があって、正男同盟とか、正男ユニオンというのがあったと思う。88×31の小さなバナーをいかに工夫するかというので、色々なサイトがアニメーションを使ったり、陰影をつけてボタン風にしてみたり、いろいろなことをしていた。最近調べてみたら、小学生の頃に作ったアニメーションのバナーが出てきた。恥ずかしすぎて転げ回った。

 じゃが島興亡記というゲームもあった。戦車を操って戦うオンライン対戦ゲームで、しかも3Dで無料というので当時小学生だった私がハマらないわけがなかった。だが、私は戦闘をするのではなく、ユーザーをスクリーンショットで記録する「カメラマン」という謎の楽しみ方をしていた。戦闘ゲームで戦わないというので倒されても仕方がないのだが、不思議と戦闘を仕掛けてくる人は少なかった。このゲームは名前の横にメッセージを表示することが出来たので、私は少なからぬ人々の名前と言葉と姿を記録していたはずなのだが、すべてどこかに行ってしまった。最終的には、残念ながらチート(不正改造)が蔓延してユーザーが激減、私もまともに楽しめなくなってやめてしまった。

 遠乃剣豪伝というゲームもあった。もはやググっても出ない。幻術を使う果心居士のカラスがなんとも厄介だった。しかもセーブがなく、一度死ぬと最初からやり直しなのがきつかった。

 みっちゃん絵本。日テレあたりで連載されていたフラッシュ製の絵本的な物語。

 MSNゲームにもハマった。横スクロールで流れてくる食べ物を食べるゲーム。粽(ちまき)が出てきた。料理バトルゲームでは、フランス人とオムレツ対決、中国人と餃子対決、日本人と天ぷら対決だったと思う。かなりハマった。

 元祖たこ焼き屋。時間が進むと客が増えたり一人あたりの注文の量が増えてきて難しくなる。イライラしたら客をクリックするといい。客を引っぱたいてゲームオーバーになる(笑)

 ショックウェーブのゲームコーナー。示通りにタコスを作るTaco Joe や、Spy Hunter にはまった。3Dでカーチェイスを繰り広げるゲームもあって、途中警察から隠れなければならないのだが、英語が分からずひたすらゲームオーバーを繰り返していた。地球防衛バットや爆発五郎(うろ覚え)などもやった。

 ここにあげたのはごく一部だ。ググっても出ないか、多くないものを中心に選んでみた。

 私自身もスーパー正男のサイトを作りながら、当時はリンクをしたりされたり、掲示板に書き込んだり書き込まれたり、というかたちで交流をしていた。私のしょぼいサイトを、「ファンキーランド」のガプリンコさんにリンクして頂いたのは光栄すぎて転げ回るほど嬉しかったのだが、中学校の部活動が忙しくなってサイトを閉鎖してしまったのは非常にもったいなかった。しょぼいサイトにも、来てくれていた人がいたのに。

 交流するなかでクイズゲームを制作されていた方がMIDIシーケンサを作っておられて、そこからMIDIでの打ち込みが一気に本格的になった。私はいまだにそのシーケンサを使っている。

 もうひとつは、グランツーリスモというプレイステーションのゲームの個人サイトで、ひたすらチャットをしていたのも覚えている。遠い昔のことだから書いてしまうが、兵庫の吉光さん、山形のこっぺさん、忍足さん、茨城久慈浜のE30型M3さん、ビロードさん、議長さんという方などが居た。その方のなかでE30型M3さんから、BARギコっぽいONLINE というサイトの存在を教わったのが、もう15年ほど前のことだと思う。コレコレさんが配信していた。ギコやしぃと言った2ちゃんねるのキャラクターを操作して、チャットや音声配信ができるという、当時としては革新的なコンテンツだった。ここでも色々な人と話した。インターネット全体で言うと、SNSが流行り始める頃だろうか。

 Mixi は当初は紹介制だったと思うけれど、紹介してもらったのも現実の知り合いではなくこのネットの知り合いだった。「冷静に見えてじつは情熱的」と評してくれたのがとても嬉しかった。それから脱出ゲームのSNSや音楽系のSNS を始めるようになった。これも話すときりがない。

 まとめると、わたしとインターネットの話は、わたしと他人がつながってゆく過程だと言えると思う。最初は掲示板やチャットだったが、SNSが出来てからは趣味を通じて他人と交流することが格段に増えた。そしてさらに時が進むと、ゲームのなかでも見知らぬ他人と協力したり戦うことが当たり前のものになる。

 インターネットも、(そもそもは軍事技術から遡らなければならないけれども)かつては一部のマニア的な人間が楽しんでいたのだし、世間からもそう見られがちだったのだが、より簡単に、便利になることで、さまざまな人にとって当たり前のものとなってきた。そうして色々な人と出会う機会が増え、私の世界は広がっていった。そこに功罪があることは間違いないが*1、それでも私にとってインターネットは人生の少なからぬ部分に影響を与えた技術だったことは間違いがない。

 思えば随分いろいろとやり込んできたものだ。出会いも別れも多く、書ききれないほど色々なことをやってきた。しかしそれは、現実とのつながりの全くない、バーチャルでの出来事だ。現実に何かを生産したわけでもなければ、現実で友達が増えたわけでもない。今書いたゲームのほとんどがそうだが、消えてしまえばそれまでなのだ。それでも私は、現実に影響を与えないバーチャルというものにも心地よさを感じてきた。現実の知り合いには言いにくいことをバーチャルの仲間に相談したり、されたりすることがよくあった。不思議なほどにオフ会の話は出なかったのは、当時の年齢と地理的な制約もそうだけれども、皆がこの心地よさを感じて大切にしていたからでもあると思う。

 翻ると、今はネットと現実の境界が薄れている、ますます薄れているように感じている。わたしとインターネットの距離感も変わり続けている。これからもわたしとインターネットがどうなってゆくのか、楽しみでもある。

*1:罪というのは例えば、日ごろは相手にしないような、変な人も少なくなかった。