もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

泣いた記憶

 4歳のころは、とにかく泣いていたことだけは覚えている。ある日突然、幼稚園の教室に「おに」がやってきて、「いやだ、いやだ」と泣きわめいていた。

 注射のときも泣いていた。病院へ行くのは知っていて、「なにしにいくの?」と聞いたら「注射」だと言った。それから泣きわめいて必死に抵抗したが無駄だった。

 遠足のときもそうだった。わたしは「としまえん」のお化け屋敷に入るのが嫌で、また「いやだ、いやだああぁ」となきわめいた。いま考えれば、それはおそらく全国のお化け屋敷のなかではさほど恐くない部類に入るものだったに違いない(でなければ遠足で園児を行かせるわけがない)。けれど、わたしは恐くて仕方が無かった。それで結局、入らなかった。今でもお化け屋敷の楽しさは理解できない。なぜ恐怖という不快な感情から楽しみを引き出すことが出来るのか(そういう楽しみを感じる人を否定するつもりはない。ただ不思議に思うだけだ)。

 5歳のころ、わたしは「いつまでこうやってすぐ泣くのだろう」と思った。いい加減、泣きたくないと思った。だが泣いた。6歳になって小学校で防災ずきんに小便をもらしたときも泣いたし、7歳のときには発表が恐くて泣いたし(通知表には”すぐ泣く”と書かれた)、小学5年生のときは給食のときに魚のフライのおかわりで勝利したにもかかわらず強奪され、当時見ていた「陰陽師」の安倍清明の真似をして人差し指と中指を立てて印を結びながら泣いた。「陰陽師」を見ている同級生は皆無だったので、変人扱いされた。

 それから記憶に残っている「泣いたシーン」はあまり無いように思う。部活で悔しくて泣いたことはあった。普通に怒られて泣いた。それ以外は、卒業式も泣かなかった。成人するとそういうイベントはさらに減って、泣くことはほとんど無くなった。

 けれど、わたしは泣きたい気もする。もっと泣いて笑って、精一杯生きるべきではないかと感じる。日々が穏やかで円満過ぎるのだ。いまでも小説や本やゲームやアニメやテレビでわんわん泣くのだけど、現実で泣きたい。いや、今は心が穏やかというよりは、ただ鈍感になっているだけなのかもしれない。

 とりあえずは寝よう、話はそれからだ……という自分の声が聞こえて来たので寝る。