もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」感想

 記事が陳腐なタイトルで、このブログに似つかわしくないと思いつつも、見たので書いておこうと思う。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見た。よかったなぁ。イザベラが少しずつヴァイオレットに心を開いてゆく様子であったり、郵便配達人の仕事に退屈していたベネディクトが少女テイラーとの出会いをきっかけに変わってゆくところは、まさに人と人が互いに影響しあいながら変化してゆく、この物語らしい展開だと感じた。

 私がひとつ驚いたのは、後半パートのベネディクトの物語が、かなり分かりやすいかたちで「働く人」に対するエールになっているところだ。変わらない日常と業務に対するベネディクトの感覚は、多くの人にとって共感しうるものだと思う。けれど、ベネディクトは知らないうちにテイラーにかけがえのない幸せを運び届けていて、そのテイラーの純真なまなざしは、ベネディクト自身に自分の仕事がもつ意味を気づかせる。それは「届かなくていい手紙なんてないからな*1」という言葉にそれが凝縮されていると思った。

 早い話が、自分の仕事が社会のなかでどのような意味を持つかということは、自分自身にはなかなか分からないけれど、それはどこかで、誰かにとって大きな意味を持っているかもしれないということでもある。まあありきたりなのかもしれませんが、私はバカなので素直に感動したし、自分の仕事を頑張ろうと思った。もちろんほかにも注目したいポイントは山ほどある(あのブーツで配達!? とか)けれど、優れた考察はウェブ上に山ほどあるので省略。ただ、ヴァイオレットがエレベーターを「新兵器」と言うところには噴き出した。訓練は勉強に言い直したけれど、相変わらずの部分もある。

 前半はヴァイオレットとイザベラの話で、こちらもよかった。家庭教師にやってきたヴァイオレットを歓迎しないイザベラ。しかし寄り添い続けるヴァイオレットに次第に心を開いてゆく*2。気になったところはたくさんあった。画が美しいのは言うまでもないけれど、表情の機微、目の輝き、影と光、というのは、私が言うのもおこがましいが「これぞ京アニ」というところではないかと思う。

 イザベラがランカスター(アシュリー)のお茶会の誘いを断ったとき、ランカスターは振り向きざまに一瞬だけ悲しげな顔を見せる。ヴァイオレットはそれを見逃さなかった。不信感を示すイザベラに対して「本当にそうでしょうか?」みたいなことを言っていましたね。イザベラは家名のためにすり寄る人間を多く見てきたのだろうけれども、彼女はそうではなかった。そして「アシュリーって、呼んでくださる?(引用不正確かも)」という場面では、一歩前へ出ることで顔にかかっていた影が一気に晴れて光に転じる。これらは後から気づいたことで、見ている段階では「ようやくお話できますわね」みたいなことを言うものだから、タイマンでもはるのかと思いきや、まったく的外れで笑った*3

 いろいろなポイントはあるのだけども、「三つ編み」が欠かせないポイントであることは間違いがないだろう。三つで編むとほどけない。ではどこが「三つ編み」なのか。

 一つにはヴァイオレットを仲介とした、エイミー・ヴァイオレット・テイラーという関係だけども、もう一つにはエイミー・ベネディクト・テイラーも有り得る。しいて言うなら、前半はエイミー*4がヴァイオレットを介してテイラーへ、後半はテイラーがベネディクトを介してエイミーへ、と見ることも出来るだろうか(手紙の送り手と受け手なので当たり前ではある)。

 テイラーがエイミーに会わなかったのは、実際に会うことで伝えられないものを、手紙というかたちで伝えたかったからなのだと私は思っている。そしてそれを代筆するドールがいて、それを届ける郵便配達人がいる*5

 まぁ、こんなことはいいんです。ボーっと見て、ぼわーんと感じて、ぶわっと心を動かされる作品でした。

*1:テレビアニメの中では印象的な言葉で、本作では引退している郵便配達人ローランドさんとヴァイオレットが言っている。

*2:これも書きたいことはたくさんある。ギルベルトとヴァイオレット、イザベラとテイラーの関係は似ている。そしてともに孤児でもある。形は違うけれど、別離による深い悲しみをともに背負っている。そしてそれをヴァイオレットが自ら打ち明けていることにも驚いた。

*3:加えて些末なことだけども、やはり名前は薔薇戦争に関連しているのだろう。ヨークとランカスター、イザベラ(イザベル)にネヴィル(イザベラが嫁いだ家)。なぜ薔薇戦争を持ち出したのか、というのは考察を見てみたい。

*4:この時点でエイミーは捨てた名前ではあるけれど、それはエイミーとしての手紙だった。

*5:そうでないにしても、エイミーが自発的に「まだ会うべきじゃない」と思う理由があったのは間違いがない。「一人前の郵便配達人になったら会うんだ」というのを言葉通りに受け取ってもよいけれど、ちょっと私のなかでは繋がらないので誰かに見解を乞いたいと願ってはいる