もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

電動アシスト自転車

 うだるような暑さのなか、腰をかがめてグッタリと坂道を上っている。憑き物を払わんとばかりに、ベトベトになった背中を手で拭い、眼球だけを動かして手のひらを見る。手のひらが太陽の光を反射してギラギラと輝くものだから、自分は茹で上がった海老なのではないかという気がしてくる。

 そしてそんな私の横を、一台の電動アシスト自転車がほとんど音もたてずに追い越してゆく。この電動アシスト自転車に対する微妙な気持ちは何だろう。

 自動車でも、自転車でもなく、電動アシスト自転車である。電動アシスト自転車に対して、「ずるい」と思う感情がある。自動車あるいはバイクに乗っていれば、傍から見ても「人力ではないな」と分かる。そもそも速度が違いすぎて悔しさすら感じない。自転車ならば、坂道においてはまだ人力の部分が大きいと納得も出来る。むしろ必死に漕ぐ様子に心のなかで「同志!」と呼びかけることさえある。

 それに対して電動アシスト自転車は、この問題すらもクリアしてしまった。もはや”あちら側の人間”なのだ。むしろ、裏切り者である。ほとんどを機械の力に頼りながらも、ペダルを漕ぐという動作によって、それが自分の力であるかのように主張をする裏切りである。電動アシスト自転車よ、なぜあなたが歩道を走っているのだ?

 と、これは冗談なのだが、それでも電動アシスト自転車が通り過ぎるたびに私がわずかに感じる苛立ちは、こういうことである。

 私には、このことがひとつの比喩のように感じられる。努力という坂を汗にまみれて必死に登っている自分と、軽やかに追い抜いてゆく電動アシスト自転車は、歩道という同じ道の上を行く。不公平じゃないか。そんな心象が、電動アシスト自転車に追い抜かされたという事実と同時に思い浮かぶ。これは、電動アシスト自転車を買うことさえできない、不器用でのろまな人間の恨み節にすぎないのだろう。