もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

異世界もののアニメについて思うこと

 自分用にメモしておく。

 率直に言って、最近は異世界もののアニメに少し飽きてきてしまっている。あくまで私の感想で読解が足りない部分も大いにあると思うけど、最初は異世界系にありがちな一定のパターン(とくに全能感)をそれなりに楽しむのだけど、数話続いて「じゃあそこからどういう独創性が出るのか」というところで「あぁ、同じだ」と思ってしまって切ることが多い。

 ツイッターを見ると、どうやら同じような人は一定数いるらしい。私たちをうんざりさせるそのパターンは、物語への理解を容易にし、お手軽に全能感を得るための装置ともいえる。凡人が転生・転移して超人的な能力を得る。なぜか女の子にもてる。敵はいるしそれなりに危機もあり、それなりに修行をしたり苦労をするのだが、基本的には成功が約束されているという安心感がある(アンパンマンが完全敗北することを疑わないのと同じように)。主人公を視聴者と同一化させ、敵を倒すというかたちで想像する余地もなく明確な成功を得る。ときには現代人である主人公らが異世界での「人殺し」に葛藤することもあるが、「もう誰も大切な人を死なせたくない」などと言って、理由はそれっぽいけれど冷静に考えれば恐ろしいまでの適応力をもって大量虐殺を始めたりする。こういうところはあきらかにリアリティがなく形式的(=無駄がなさすぎる)だし、それに違和感を持つ人がいるのは私も理解できる。

 とはいえ私は物語を楽しむために見ているので、こういう疑問は見逃そうと思う。私にとっての問題は、そのような物語からなにが見出せるかというところにある。どんなメッセージがあるのか。極端に言えば、主人公たちと自分を結び付けて全能感に浸って「ああ気持ちよかった」というだけの話は、お手軽に気持ちよくなれるけれど噛みしめる楽しみはない。それはいわば100円のハンバーガーのようにおいしいけれど、毎日ハンバーガーでは飽きる。たまに120円のチーズバーガーも食べることもあるけれど、それでは根本的な解決にならない。

 「いや待てよ、それはお前の読解力が足りないがために、その物語の魅力を見いだせていないだけなのではないか」という自責の声はもちろんある。事実、そうした作品のひとつひとつにも大勢のファンがいて、お金を出して作品を応援している。そのひとたちはどういうところにその作品の魅力を見出しているのか。それはいま私の知りたいことの一つでもある。

 そしてもう一つ、「異世界ものに飽きた」と偉そうに言っているが、そこまで異世界ものを理解しているとはおよそ言えないということもある。よりリアリティに重きを置いた、異世界を通して現実の人間そのものを描くような、血と汗と涙と努力と友情と絶望と挫折とがごちゃ混ぜになったような異世界ものもあるのではないか。

 このようなことを浅はかながらに考えながら、毎シーズンごとに「面白い異世界ものはないか」と思ってアニメをチェックしている。