もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

各駅停車に乗ることについて

 通勤人間の悲しい話。

 急行と各駅停車があるとする。急行に乗れば目的地まで1時間で行けるが、各駅停車だと1時間20分かかる。ただし急行はひどく混雑していて、各駅停車は空いている。ストレスに満ちた1時間と、(相対的に)ストレスの少ない1時間20分。さて、どちらに乗ろうか。

 これまでのわたしなら、迷わず急行に乗っていただろう。早い方がよいし、20分というのはなかなか大きな差だ。だが最近は、各駅停車でもよいではないか、と考えるようになった。加齢による体力の低下と精神力の弱体化により(なんだそれ)、すし詰め状態のストレスのほうが大きくなり始めたのだ。

 たしかに急行に乗れば、各駅停車を選んだ場合よりも20分短縮できる。だが、ストレスによる不利益(不経済?)のほうが大きくなり始めた。そのくせわたしの20分がかつてのわたしの20分よりも経済的に生産性が上がっているとは思えない。いまも昔もかわらず20分は20分だ。そのくせストレスだけは大きくなる。壮絶な座席争奪戦。恥もへったくれもなく猛ダッシュ、わずかに空いた隙間の背もたれに向かって体当たりをかますご婦人。もういやだ。……そう、都会疲れというやつである。

 そんなことを「もう若くない」と悟ったころから考えていて、5年ほど前から時差通学・通勤をしてきた。そしてここ最近、各駅停車ややたらめったら止まる準急(ほぼ各駅停車)に乗るというのを始めてみた。朝夕のラッシュでは混雑を避けられないが、それでもマシであり、時間を外せばなおさらマシになる。時間はかかるが、それはストレスの少ない時間だからよいと思う。それに、各駅に止まろうが意外と大した時間差ではない。1駅1分としても20駅で20分。考えてみたら、なぜ今までこうしなかったのかという話だ。がんばって急行に乗り、すし詰めに耐えに耐えて、ストレスだらけの20分を何百回と重ねてきた。そのほうがなにかを失っているのではないかと思った(”なにか”ってなんだ?)。

 とはいえ、山手線圏内はどうしようもない。丸ノ内線に急行や快速があるわけもない。みな「各駅停車」でみな「すし詰め」だ。このどうしようもないほど莫大な流入人口に涙しながら、マンホールからあふれ出す下水のように、ホームを降りて訳も分からずに改札から吐き出される。帰りはまた最寄りのマンホールから吐き出されるだけの話だ。けれど各駅停車に乗るようになってずいぶん楽になった。これからも、とにかく大多数の都市的生活を送る人びとのすき間を狙い、ゴキブリのように、そして快適に生きようと、ひそかに強く決意した。

 あぁ、帰宅後のポカリがうまい。