もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

当たり前の光景も、他人からすれば価値がある

 何の前触れもなく、Youtubeのおすすめ欄に「TRAMCITY HAKODATE」というゲームの動画が流れてきた。これは函館市電を再現した運転シミュレーターゲームで、かつて「電車でGO! 旅情編*1」をやった記憶が蘇ってきた。あれも函館市電があったけれど、まあ駅数が多い多い……。Youtubeはそんな私の思い出を知っているはずは無いのに、おすすめの精度が高すぎる。

 それで懐かしくそのゲームの動画を見たのだけど、その終着駅の一つが「函館どつく前」だった。どっくというから観光地なのかもしれないけれど、車止めに簡単な重ししか置いていなくて、レールがいきなり途切れている。本当にこんななのか?

 それで調べると、動画があった。本当にこんな感じなのか、と驚いた。それでふと再生回数を見ると、100回に満たない。きっと近所か近いエリアの方が旅行ついでに撮影したものだろうと思う。近隣の光景を知るだけなら今やストリートビューというものすごく便利なものがあるけれど、動画はそのときの空気感もいくらか感じられて良い。

 と、そんなどうでもいい話から思ったのは、ある人にとっては当たり前の光景でも、他人からすれば価値があることもある、ということだ。きっと函館どつく前の近くに暮らす人にとっては当たり前の光景に違いないが、東京にいる私が函館どつく前に行くのはものすごく大変なことだ。だから、再生数が100回に満たないこの動画に、私は500万いいねを差し上げたいほど感謝している。

 逆に、函館どつく前にいる方が東京の風景を見ることも簡単ではないだろうが、東京の動画はおそらく腐るほどあるので、私がわざわざ撮影する価値は無いだろう。反面、僻地と言ったら失礼だけれど、こういう場所の動画は多くはないのですごく貴重だと思う。

 ここまで書いて気がついたけれど、もしかしたら、都会に暮らすのに比べると、地方に暮らす方は、いまやそれだけで個性があるような気がする。私は東京に生まれて今の生活も嫌いじゃないけれど、都会にいると「自分は群衆の中の一人に過ぎない」という気がする瞬間があるのも事実だ。私の見ている風景を見ている人は何万と居る。

 じゃあお前も地方に行けばいいじゃないか、と自分に詰問してみると、確かに、都会の利便性と自分にとってQOLを天秤にかけて、それを選ぶ人も居るんだろうなと思う。ただ自分にそこまでの決意はない。

 しいて自分を弁護するなら、これはあくまでも風景の話であって、経験や人間性に話を広げるなら、雑多な人がいる都会はそれはそれで面白く個性が溢れる場所なのだろうと思う。何が言いたいのかはよく分からないが、そんなことをぼんやり考えながら、いま私は休日の一日を過ごしている。

*1:2002年発売、何年前だ!?