もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ファミレス・カフェ店内での通話について

 他人との価値観の違いというのはどこまで行っても尽きることがない。たまたまレストランで居合わせた赤の他人の食べ方を「汚いな」と思うこともあれば、毎日のように顔を合わせる同僚が昼食後に歯磨きをしないのを「あり得ない」と思ったりもする。家庭では「なんであの人は立って用を足すのだろう、飛び散って汚い」と思う人もいるかもしれない。それぞれがそれぞれにとっての常識なのだが、他人にとってはそうでないということが山のようにある。

 例えばわたしは、ファミレスやカフェの店内で通話をすることは良くないと思っていて、通話は外に出てすべきだと思っていた。だが、今では平然とふつうの声で通話をする人も少なくない。もちろん小声で遠慮がちに「かけ直します」という人もいる。果たして、このどちらが正しいのか。

 レストランやカフェでパソコンで作業をする光景が当たり前のように見られるようになり(禁止している店もあるが)、通話もその延長線上で大丈夫だろうと考える人が増えてきたのかもしれない。店がルールを明文化していれば大半の人は「店が決めたのだから」と引き下がるだろうが、それでも「なぜ通話だけがダメなのか」とは思うかもしれない。これは常識がバージョンアップされる過渡期だからなのか、それともただの思い上がりゆえの過ちなのか。例えば、「テレビを見ながらご飯を食べる」というのも、最初は行儀が悪いと思われていたのではないかと思う。一つの例に過ぎないが、わたしの祖母の家では、祖父が存命中はテレビをつけながらご飯を食べることはまったく無かった。ここ数年になって、祖母と同居している叔父がテレビを見ながらご飯を食べたりするくらいだ。

 いずれにせよひとつ思うのは、通話にせよ作業にせよ、それまでの通念と異なる行為については、「許可されていなければしてはいけない」のではないかということだ。する人は「禁止されていないからやってもいい」と考えるかもしれないが、それを言えば、図書館のなかでバーベキューを始めてもいいんですかという話にもなる。飲食はダメだというが料理は禁止していないという屁理屈である(いや、それも禁止されているかもしれないけれど)。ただその場合も難しくて、「作業をしてもいいんですよ」というカフェが流行れば、ほかの店でもいいんじゃないか、と考えたくなってしまうのは想像できる。はてさて、どうしたものだろうか、どうなるのだろうか、と思う。