小学4年生くらいだったか。
ちょうどこの時期のこと。
姉が水の入った袋を持って帰ってきた。なかには赤く光る金魚がチラチラ輝きながら泳いでいて、父が慌てて水槽の用意をしていた。
うちでは以前金魚を飼っていた。私が10匹ほどすくってきて、直後どうしたかは忘れたが、後日大きな水槽やらエアポンプやらを用意して、金魚を泳がせた。
けれどみな死んでしまった。
それで、姉が金魚を持ってきたときも、家のなかでちょっとした騒ぎになった。後先も考えずに金魚をすくって帰ってくる。子どもはそういうものだ。
父がわたわたと準備しているあいだ、姉は何を考えたか洗面台に行った。
金魚を持って。
洗面台で金魚を泳がせようと思ったのだろうか。
いま姉に聞いて、このトラウマを掘り起こす勇気はない。
とにかく姉は洗面台に金魚を放った。
金魚を放ってから栓を開けたのか、栓を開けてから金魚を放ってしまったのか。
いや、そもそも水など溜めていなかったのだ。
金魚が排水溝に挟まった光景を私は今でも忘れない。
水を流せば金魚は排水溝のなかに流れてしまうかもしれない。
かといってそのままでは金魚は死ぬ。
急いで取り出すしか策は無いように思われた。
姉は呆然と立ち尽くし、私がとっさに父を呼ぶと、やがて状況を理解して泣き出した。
父はピンセットかなにかで救い出そうとしていたと思う。
しかしその方法は、挟まった金魚の身体を傷つける。
けれど、ほかにどんな方法があっただろう。
父はもちろん、見守る私まで汗だくになっていた。
結局、2匹の金魚は死んだ。
母が空いた豆腐パックを持ってきた。
私と父は黙って、救い上げた金魚をそこに入れた。
姉も連れて3人で外まで歩いて行った。姉はぼろぼろ泣いていた。
誰も使わない、雑草の生い茂っているところに穴を掘って、金魚を埋めた。
両手を合わせた。
姉は家に帰ってもやはり泣きじゃくっていた。
この取り返しのつかない経験を、姉は覚えているのだろうか。
姉はこの経験からなにかを学んだのだろうか。
私には分からない。
それでも、夏になって花火が上がると、このことを思いだす。