もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

とるに足らない記憶。自転車で転んだこと

 小さい頃の記憶。普通ならば強く記憶に残る出来事にはそれなりの理由があるものだ。好きだった幼稚園の先生の背中にしがみついたことであったり、父親に引っぱたかれて母の胸に逃げ込んだことであったり、たいていは強い感情とともに刻まれた記憶であり、細かな経緯は忘れても「そう感じた自分」はハッキリと残っているというのが、よくある「小さい頃の記憶」だ。

 一方で、とるに足らない記憶をなぜか覚えているということもある。それは何かの感情や感覚(痛みなど)という点ではまったく引っかかるところが無いのに、なぜか覚えている。例えるなら、本にしおりを挟むこともなく、ページ数を覚えているわけでもないのに、いつでもそのページをぱっと開けるようなものだ。その一つの例が、たったいまふと頭のなかに浮かんだので、書いておこうと思った。

 その記憶というのは本当にどうでもいいことで、3歳ぐらいのときに、幼稚園のそばで自転車が大転倒をしたと、それだけのことである。場所は幼稚園のそばの神社の境内で、路面は石畳でデコボコしていた。母は前方の青いカゴのような座席に私を乗せ、大きな後ろの席には姉を乗せていた。そして母は自転車をこぎだそうとしたのだが、思ったように勢いがつかず、バランスを崩して横倒れになった。そのときの姉のことは記憶にないが、私自身が泣くことなくきょとんと立ち上がったことだけはたしかに記憶している。

 覚えているのはこの場面だけで、おそらく、そのあと母は私と姉を乗せ、自転車をこいで家へ帰ったことだろう。けれどその記憶はない。なぜ転んだ場面だけを覚えているのかと考えるけれども、放り出されたので痛かったとは思うのだが、痛みを感じた記憶もない。

 その点、例えば注射の記憶というのは強く残っていて、5歳ぐらいのときに病院に連れていかれたとき、注射をしにゆくのだと知ったとたんに地べたにしがみついて必死に抵抗した。それ以前に注射の記憶が明確にあったとは思えないのだけど、その時点ですでに注射に対する恐怖が、痛みの記憶として幼いながらに植え付けられていたのだろうと思う。

 あるいは嘔吐というのも強く記憶に残っているし、招かれた友達の家でその子に挑発されたのでかみついたことも覚えている。友達の家からの帰りに母と定食屋に立ち寄ったことも、母と二人なのは珍しいことだったから記憶に残っている。

 とにかく、こうした記憶とは違って、自転車で転んだ記憶には何の意味合いも感じられない。それらしい理由を考えることはできる。当時の私には自転車の転倒など経験が無かったからよほどショックだったのだとか、忘れてはいるが当時は大変な痛みを感じたのだとか。しかしそれを覚えようという努力もしないまま10年も20年も覚え続けているというのは、とても不思議だなと思う。

 そして痛みを忘れたまま痛みの記憶を覚えているのだとしたら、これも不思議なことだ。私の人生のなかで痛かった記憶というのは、幸いにして今のところそれほど多くはないのだが、それでも痛かった記憶はその時の痛みとともに覚えていることが多い。小学生低学年のころに、体育館の倉庫にある棚の一番高い段から落ちたことがある。両親が参加していたバスケットボールクラブの練習中、同じようにして来ていた子たちとかくれんぼをしていた。私は見つかるまいと倉庫の一番上の棚に上って、はいつくばって息をひそめていた。それが何がどうなったか、転落して頭を打ったのだ。そのときのクラクラした感じは忘れられない。

 その感覚は、家の風呂場で頭を打ったときのことを連鎖的に思い出させる。昔ながらのコンクリート丸出しの風呂場。あれは痛かった。そしてクラクラした。

 小さな人生のなかにもいろいろショッキングな出来事はあったと思うのだが、そのなかでさほどショッキングでもない出来事を覚えているというのは不思議なことだ。姉のプール教室を母と見守っていたときに隣に居合わせた太ったおばさんのことも思い出す。白いポロシャツに黒縁のめがねをかけていて、座った足の上にお腹の肉が乗っていたのを覚えている。たしか折り鶴をくれたと思う。あまり興味は無かったが。

 と、どうでもいいことを思い出していたら、隣の家からイカ臭いような獣臭いような炭臭いような臭いが漂ってきたので、この辺で止めておくことにする。