もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「ふるさと隅田川」「一九八四年」

02/20 : 幸田文「ふるさと隅田川

 いヽ土地に住む人たちより、そこに住む女たちはずつと明らかに、それぞれの性格なり力なりを発揮してゐた。私には、女房たちは亭主たちを飾つてゐるといつた観があつた。それに較べると、いヽ土地の奥様がたは亭主に飾られてゐる感じだつた。 (「湿地」, p. 130)
 隅田川をはじめ、自然とともに暮らす人びとの姿を映し出している随筆集です。土地(自然)の美しさや雄大さへの憧れ、隅田川とともに生きる人びとへの優しいまなざしが感じられます。一瞬しか味わえないという桜の葉の香り、川のそばで暮らす人びとの力強さ、川の暴力、晩年の父露伴の姿、変わりゆく街。繊細で優しいかと思えば、クジラ漁の風景や岩場の崩壊の様子が大胆に描かれていて、なんとも面白いです。季節感や香りを想像させてくれます。

 印象に残ったお話
「流れる」花を見ながら、まぶたの裏には故郷が浮かぶ。
「廃園」ある名家の庭にあった松。みんなが「**様のもの」と思っていたが、同時にみんなでそれを楽しんでいた、という在り方が面白いと思った。けれどその家は没落、廃園に松だけが残っていたが、新しくやってきた商家はすべてを作り変えてしまった。
「みずばち」”おまえに水がこしらえられるか”。
「あだな」船頭芳の喜びや別離の悲しみ、そして老い、人生をよくこれだけ描いたなと思う。近所のおじさん的な桶屋の新さんがまたいい。父のあだ名のことを話され成長した芳の息子の気持ちが手に取るように伝わる。
「湿地」”いい土地”ではない湿地に暮らす人びとの力強さ。
「鯨とり」クジラ漁の大胆さ。そして殺すことへの感覚、それは職業や商売を超えた感情なのだと思う。
「濡れた男」繁殖行為を終えぼろぼろになったサケに出会った男が、それを看取る場面が印象に残った。不思議な縁。
「地しばりの思い出」発展を急いだ結果自然を失い、いままた自然を取り戻そうと急いでいるという見方が面白い。自然への愛着と畏怖。

02/20 : ジョージ・オーウェル「一九八四年」

 われわれが人生をすべてのレベルでコントロールしているのだよ、ウィンストン。君は人間性と呼ばれるような何かが存在し、それがわれわれのやることに憤慨して、われわれに敵対するだろうと思っている。だがわれわれが人間性を作っているのだ。
 国家の統合と支配が進んだ、未来の「1984年」。世界はオセアニア、ユーラシア、イースタンの3つの超大国に分かれ、物語はオセアニアの旧イギリスを舞台に展開します。オセアニアを統括する「党」の支配は人びとの精神にまで及び、党に不都合なことを「考えること」が犯罪となる世界です。支配者たる「党」の構成員は自らの「意志」で党を愛し、全人口の過半を占めるそれ以外の人びとは漫然と現状を受け入れている。そんないびつな支配体系に強い反感を持った主人公は、あるともないとも語られている反政府組織に加わろうとしますが……。

 党はさまざまな統制を行ないます。メディア操作をつうじた歴史の検閲・改変、新たな言語による(党に不都合な)概念の削除(例: free という語は「その畑は雑草から自由である/雑草を免れている」といった言い方においてのみ可能で、政治的・知的な自由はもはや概念として存在しない, 480)、そのなかで人間性というものは権力によって徹底的に破壊され、権力が新たな人間性を作ってゆく。そんな社会体制を打破すべく主人公がわずかな希望を抱いたのは、下層階級のプロールでした。人口の8割を占め、しかも党に洗脳されていない彼らが放棄すれば、たちまち党は崩壊すると考えます。

 しかし主人公は同時に、自らが党の支配から逃れ得ないこと、思考まで党に監視された「死んでしまった人間」であることを自覚していました。さらに、人間の精神などというものが飢餓や苦難のなかでいかにたやすく醜く変貌するかということも知っていました。憎悪や不信に満ちた社会の到来を予感させ、物語は幕を閉じます。