もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ことわざメモ

01/15 : 橋本テツヤ「ことわざびじん」

◆美人になりたいわけではありませんが、ことわざにはいろいろな言い回しやニュアンスがあって面白いです。読んでいて気になった言葉を集めてみました。各ことわざにいらないコメントをつけてあります。

相手のない喧嘩はできぬ : ”だから喧嘩は買わなければよい”という教えなのですが、「”喧嘩ができる相手がいる”というのは、よいと思えるときもあるんだろうなぁ」などと考えてしまいます。
頭の上の蝿を追え : 相手の頭上の蠅を気にするあまり自分の頭上の蠅に気がつかないなんて、他人思いにもほどがある……という現実的な解釈も成り立つのではないでしょうか。
魚心あれば水心 : 水に心があるという考え方が非常に興味深いなと思いました。
女ならでは夜は明けぬ : 日本は伝統的には母系社会だったといわれますが、こんにち一般的に考えても、女性が居なかったらピリピリする場面が爆発的に増えるでしょうね(それ以外にもありとあらゆる問題も生じますが)。
悲しい時は身一つ : ほんとうにそのとおりで、反対に「身一つだから悲しい」ともいえそうですね。
窮すれば通ず : 力強さを感じます。
後生願いの六性悪 : 言ってることとやってることが違いますが、といいたい。
盛年重ねて来らず : 老年も重ねて来たることはありませんが、盛年のそれが大切だということですね。
他人の飯を食う : ただ社会生活の経験を積むということではなく、つらい経験も重ねているというニュアンスが感じられます。
泣くより歌 : 人びとは歌の力を経験的に知っていたのですね。
猫の子をもらうよう : 猫の生態もけっこう知っていたわけですね。
酒は古酒 女は年増 : 若い女性になんといえばよいのでしょうか。
去り跡へ行くとも死に跡へ行くな : 亡くなった人を美化するということを鋭く指摘していますね。
千里も一里 : 恋の盲目さがとてもよく感じられます。
糟糠の妻 堂より下さず : いまどき、糟糠(そうこう)の妻(”かす”や”ぬか”を食べるような貧しい生活をともにしてきた妻)のようなひと(男でもそういう苦労に耐えうる人間)が、どれだけいるのか……。
添わぬうちが花 : 近すぎて幻滅するか、手に入って幻滅するか、とにかく幻滅するというわけですね。悲観的。
一日作さざれば一日食らわず : 俗語で「うんこ生産機(NEETに対する侮蔑的な表現)」という言葉がありますが、これはそれを徹底的に回避する姿勢ですね。
江戸っ子の 往き大名 帰り乞食 : 「江戸っ子は宵越しの銭をもたない」といいますが、その結果がこれです。
船頭多くして船山へ上る : 仕切りたがり屋、発言したがり屋がごちゃ混ぜで混沌としている、そんなときに使えそうです。
大器小用(大根を正宗で切る) : そんなことをする人間の器も知れるというお話ですね。
壺のなかでは火は燃えぬ : 空気を入れる必要性をうまく表現していると思います。
二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ : 経済的には一人口のほうが安上がりに決まっていますが、実生活上はさまざまな面で二人のほうがよいという逆転がうまく表現されています(料理にしたって、二人いれば自炊しますが、一人だと外食してしまったり)。
坊主の花簪(はなかんざし) : 猫に小判」や「豚に真珠」よりも、こちらのほうが絵的に、また表現的に、面白いのではないでしょうか。
一番風呂は馬鹿が入る : ぼくは馬鹿です。
死ぬ死ぬと言う者に死んだ例(ため)しがない : 死ぬ死ぬ言う人が死ぬ準備をしているのを見たことがありませんし、やはり死なないようです。
いつも月夜に米の飯 : 月夜に白飯を食べることが幸せだと思える日々を過ごせているのでしょうか。
漬物誉めれば嬶(かかあ)誉める : 漬け物をほめる=かかあをほめる、だったわけですね。したがって”他人の家の漬け物はほめるな”という話らしいです。そんなことで怒るとは、焼きもちやきにも程がある。
卵の殻で海を渡る : 出来ないことの例えですが、卵の殻という選択がおもしろいです。
げすのそしり食い : 要するに「まずい、もう一杯」というやつですね。(あれが”げす”だ、というつもりはまったくないのですが、格好の例です)。