もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「いやいやながら医者にされ」「日本最初の珈琲店」 「論文の書き方」

05/16:モリエール「いやいやながら医者にされ」

レアンドル [...] 実は、さっき手紙を受け取ったんですが、それによると、伯父さんが死んで、ぼくはその財産をそっくり相続することになりました。

ジェロント あなたはほんとに立派なかただ。娘は喜んであなたに差しあげましょう!  (本書, p. 82)
◆木こりが妻のたくらみから始まって名医に”仕立て上げられてゆく”喜劇。漫才を思わせるような、つねに聴衆の裏をかくリズミカルなやり取り、その専門性を悪用する医者への風刺、その権威に疑いを感じながらもひたすら信じるしかない一般大衆の滑稽な姿が生き生きと感じられる。この喜劇の初演は1666年なのだけど、そんな風には思えない。時代を超えた笑いの世界、思わず吹き出してしまう一冊。

◆余談ですが本書の前半では誰かを殴るシーンが多いのでメモ。夫婦げんかで木こりが妻を殴る (p. 12)。仲裁に入った隣人を夫婦で殴る (13, 15)。召使たちが「殴りでもしないと自分が名医だと白状しない」という話を真にうけて木こりを殴る (30, 31)。、旦那(主人)に叱られた妻を叱りつけるフリをして旦那を殴る (39)。殴られて名医にされた木こりが、「これであなたも医者だ」といって旦那を殴る (41)。全部おかしい。


05/17: 星田宏司 「日本最初の珈琲店―『可否茶館』の歴史」

 その上に、ヨーロッパのコーヒー・ハウスにもない「社交場」または「知識の共通の広場」を提供した『可否茶館』の構想は、当時の日本の人々の生活・意識からすれば、理想だけが先行し、営業としてはとうてい考えられないことだった、と言ってもよかろう (本書, pp. 44-45)。
◆コーヒーを飲む場所として明確な指針を打ち出した最初の喫茶店、それが明治21年4月6日に開業した「可否茶館(コーヒーちゃかん? かひーさかん?)」だった。可否茶館は、日本最初の喫茶店であると同時に、欧米で知的交流の場として栄えてきたコーヒー・ハウス文化を日本に取り入れるという、その先駆的なコンセプトにも驚かされる。欧米文化を一般レベルに取り入れようとした鄭永慶の志を具現化したものが可否茶館だったといえそうだ。鄭永慶(ていえいけい:日本人です)の志と、可否茶館という挑戦、その失敗と生涯。期せずして胸が熱くなった一冊だった。


05/18: 清水幾太郎 「論文の書き方」

 空間的並存状態にあった現実が人間の手によって時間的過程へ投ぜられ、新しい人為的秩序を与えられる時、そこに新しい現実が生まれるのである。新しい真実と呼んでもよい。単に新しいだけでなく、これが本当の現実、本当の真実というものである。有意味な現実、有意味な真実というものである。本当の現実や本当の真実は、人間の働きを含んで初めて成り立つ。人間の責任を含んで初めて成り立つ (本書, p. 109)。
◆文章術の本のベストセラーといってもよさそうだ。初版の1959年からいまもテキストとして挙げらているのをよく見かける。この本はいわゆるハウツー本とは違って、論文を書くための方法についてはほとんど立ち入っていない(とぼくは思う)。それよりも、もっと根本的なところで「どうやって論文を書くのか」という問いについて考えている一冊ではないか。

◆ここでいう「論文」とは、知的散文といった程度の意味だ。なにかについて、それを知らない人にも伝えるための文章のことだ。書いて伝えるということは意外と難しい。自分流の文章術をつくりたいという人にとって、重要な手掛かりになるはずだ。(反面、ふつうのハウツー本として手に取るとものすごいガッカリします)。

 * 余談 *
マインドマップツールXMindを使ってみました。つたない。
OLさんたちが”だべっている”横で、ぽちぽちパソコンをいじくりまわしながら本を読んでいました。