もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

僕の好きな本 (2)

その1から続き。

文章が好き

 第三に、文章が好きであることだ。さらに言えば書き手その人が好きだということ。これは自分が楽しいと思うかどうかということに尽きる。小説を好む人に一番多そうな理由なのだけど、自分の場合にはエッセイに一番多い。そもそも少ない読書歴のなかではエッセイを読むことのほうが比較的多いということでもあるけれど。この点でお気に入りなのが『鴎外の子供たち』。森鴎外の末子、類さんがつづる幼少からの日常。かの森鴎外の息子という社会からの重圧と、それに応えることのできない自分をさっぱりと描いてしまう。だから読むたびに、面白いような、つらいような、複雑な思いにさせられる。これに対して長女、茉莉さんの『贅沢貧乏』も面白い。我が道をゆくという感じが表題からして伝わってくる。自分にとってこの上なく贅沢なものに囲まれて過ごしている。他人が「ごちゃごちゃした部屋だなあ」と思っていても、そこには自分の欲するものがすべてあるという環境。そんな贅沢にうっとりする。

鴎外の子供たち―あとに残されたものの記録 (ちくま文庫)

鴎外の子供たち―あとに残されたものの記録 (ちくま文庫)

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

笑える

 第四に、笑えるということだ。これは感情移入が出来ると言ってもよいけれど、そんなに立派なものではない。ただただ何度読んでも笑えるということ。ところが僕は活字に親しみがないから、活字でいつまでも笑えるほどの威力を持った本に出会うことはなかなかない。そのなかの数少ない一つが『いやいやながら医者にされ』である。モリエールの名も知らずにただただ表題に釣られて読んでみたのだけど、ページを繰るたびにフフッと笑ってしまうような本。物語の概要を述べると、ひょんなことから木こりが名医としてあがめられるというおまぬけな話なのだけど、医者をはじめ、社会的な評価がいかに内実の欠いたものかをこれでもかと皮肉っている。この物語の「ハッピーエンド」がお気に入りなので引用(ささやかな”布教”)をしておきたい。

レアンドル […] 実は、さっき手紙を受け取ったんですが、それによると、伯父さんが死んで、ぼくはその財産をそっくり相続することになりました。 ジェロント あなたはほんとに立派なかただ。娘は喜んであなたに差しあげましょう! モリエール『いやいやながら医者にされ』, 岩波書店, p. 82.

 このジェロントという人物は貧乏なレアンドルと娘のジャックリーヌの婚約を断固として認めていなかったのだけど、終盤でレアンドルが遺産を手にしたことから、あっけなく結婚を許可する。観客全員がなんだそりゃーとずっこけるところ。

まとめ:まとめきれない

 これ以外にもさまざまな理由から手元に置いている本がある。それらを一言で言ってしまえば、要は「その本を楽しむことができるか」ということに尽きる。たとえば、明治東京の貧民生活に迫った『最暗黒の東京』は、文体は古めかしいのに面白くて、なぜかすらすらと読むことができた。安飯屋の描写には吐き気がした。これもまた感情移入。

 以上は、思い出しながら書いたことで、あらすじにもかなり間違いがあるかもしれない。ときどき読んだ本の著者名から内容まで正確に覚えている人がいるけれど、すごいと思う。自分は著者名を覚えることなどほとんどなくて、ただ漠然とした映像で覚えていたりするから、あらすじを間違えたり、人物名を覚えてすらいないということがしょっちゅうある。けれどふと、「蔵書が多すぎて床抜け寸前になり、倉庫を借りた人」などを思い出す。自分の投げやり読書も、自分のなかですこしは消化されているといってよいのかもしれない。

 ここで取り上げた本のなかには「名著」とされるものもいくつかあると思う。ただし僕は、それらを勝手に読み解き、勝手に楽しんでいる。そして、「何度も読みたい」と思っている。「読書かくあるべし」という話を放り出して、勝手に読み解くからこそ楽しいのだともいえる。本は苦手だけど、本のなかに描かれている人間は好きだ。知らないことを知るのも好きだ。それが、僕の読書の原動力になっている。