もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

大戸屋のおじさん

 大戸屋に行った。私はいつも「”むしなべ”、五穀米大盛、すまし汁変更」を頼む。要するに塩分に気を付けつつガッツリ食べるという意図だ。やれ長生きする食材だのなんだのと言う健康オタクになったつもりは無いけれども、塩分と言うのは食生活で気をつけることのできる最も簡単な部分だと思うから、そうしている。

 そうしていつも通りに「むしなべ」を頼んだつもりが、すまし汁に変更するのを忘れていた。はっきり言えば、大戸屋の味噌汁はあまり好きではない。それで呼び出しボタンを押して、店員さんがこちらに来る……はずだったところで怒鳴り声がした。

 「ボタンを押したのに、反応がない。来ないじゃないか!!」

 そんなに怒ることか? このおじさんはなぜそこまで怒るのか? おつむに問題があるのか、何らかの鬱憤がたまっていたのか、などとどうでもいい詮索的思考を一瞬で終え、事態が落ち着いてから店員さんを呼んで、すまし汁に変更してもらった。そのあとしばらくしておじさんはガバッと席を立ち、「席を変える!」といってうろうろ歩き回り、自分の居るべき場所を見つけたかのように、別のある席に座った。

 この時点で私のなかではこのおじさんに対する脅威度レベルはかなり高かった(この脅威度レベルの話もしたいのだが話の本線ではないのでさておく)。つまり何をしでかすか分からない、暴れまわったり、最悪の場合にはほかの客、あるいは私自身に危害を加える可能性のある人間として警戒していた。

 それから食事を済ませ、トイレに行った。が、そこでさきのおじさんと鉢合わせしてしまった。私の驚きは二つあった。一つは、トイレのドアが突然開いておじさんが出てきたこと、もう一つは、そのおじさんが出てきたのは女子トイレだったということだ。この二つの驚きは時間差でやってきた。まずおじさんの登場に驚き、狭い通路を譲ろうとし、そしてその出てきたトイレが女子トイレであると気がつき、そこにおじさんが間違いなくいることを確認し、それらを総合して状況を理解するには5秒程度の時間を要した。その時の私にとって、この5秒はとてつもなく長く感じられた。

 しかしここで面白かったのは、そのおじさんが私の登場に驚き戸惑ったような反応を示したことだった。そしてどもりながら「手を洗っているだけだから」と言った。それは事実そうだったのかもしれないが、それが一般的におかしい行動とみなされるであろうということを、そのおじさんはしっかり理解していた。そしてそれを恥ずかしく感じ、わざわざ私に弁明をした。

 これが、あの、店員に当たり散らし、一方的に席を変えると叫んだあのおじさんだろうか、と私は思った。そしてその矛盾した一面を併せ持つところに、人間らしさを感じた。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」感想

 記事が陳腐なタイトルで、このブログに似つかわしくないと思いつつも、見たので書いておこうと思う。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を見た。よかったなぁ。イザベラが少しずつヴァイオレットに心を開いてゆく様子であったり、郵便配達人の仕事に退屈していたベネディクトが少女テイラーとの出会いをきっかけに変わってゆくところは、まさに人と人が互いに影響しあいながら変化してゆく、この物語らしい展開だと感じた。

 私がひとつ驚いたのは、後半パートのベネディクトの物語が、かなり分かりやすいかたちで「働く人」に対するエールになっているところだ。変わらない日常と業務に対するベネディクトの感覚は、多くの人にとって共感しうるものだと思う。けれど、ベネディクトは知らないうちにテイラーにかけがえのない幸せを運び届けていて、そのテイラーの純真なまなざしは、ベネディクト自身に自分の仕事がもつ意味を気づかせる。それは「届かなくていい手紙なんてないからな*1」という言葉にそれが凝縮されていると思った。

 早い話が、自分の仕事が社会のなかでどのような意味を持つかということは、自分自身にはなかなか分からないけれど、それはどこかで、誰かにとって大きな意味を持っているかもしれないということでもある。まあありきたりなのかもしれませんが、私はバカなので素直に感動したし、自分の仕事を頑張ろうと思った。もちろんほかにも注目したいポイントは山ほどある(あのブーツで配達!? とか)けれど、優れた考察はウェブ上に山ほどあるので省略。ただ、ヴァイオレットがエレベーターを「新兵器」と言うところには噴き出した。訓練は勉強に言い直したけれど、相変わらずの部分もある。

 前半はヴァイオレットとイザベラの話で、こちらもよかった。家庭教師にやってきたヴァイオレットを歓迎しないイザベラ。しかし寄り添い続けるヴァイオレットに次第に心を開いてゆく*2。気になったところはたくさんあった。画が美しいのは言うまでもないけれど、表情の機微、目の輝き、影と光、というのは、私が言うのもおこがましいが「これぞ京アニ」というところではないかと思う。

 イザベラがランカスター(アシュリー)のお茶会の誘いを断ったとき、ランカスターは振り向きざまに一瞬だけ悲しげな顔を見せる。ヴァイオレットはそれを見逃さなかった。不信感を示すイザベラに対して「本当にそうでしょうか?」みたいなことを言っていましたね。イザベラは家名のためにすり寄る人間を多く見てきたのだろうけれども、彼女はそうではなかった。そして「アシュリーって、呼んでくださる?(引用不正確かも)」という場面では、一歩前へ出ることで顔にかかっていた影が一気に晴れて光に転じる。これらは後から気づいたことで、見ている段階では「ようやくお話できますわね」みたいなことを言うものだから、タイマンでもはるのかと思いきや、まったく的外れで笑った*3

 いろいろなポイントはあるのだけども、「三つ編み」が欠かせないポイントであることは間違いがないだろう。三つで編むとほどけない。ではどこが「三つ編み」なのか。

 一つにはヴァイオレットを仲介とした、エイミー・ヴァイオレット・テイラーという関係だけども、もう一つにはエイミー・ベネディクト・テイラーも有り得る。しいて言うなら、前半はエイミー*4がヴァイオレットを介してテイラーへ、後半はテイラーがベネディクトを介してエイミーへ、と見ることも出来るだろうか(手紙の送り手と受け手なので当たり前ではある)。

 テイラーがエイミーに会わなかったのは、実際に会うことで伝えられないものを、手紙というかたちで伝えたかったからなのだと私は思っている。そしてそれを代筆するドールがいて、それを届ける郵便配達人がいる*5

 まぁ、こんなことはいいんです。ボーっと見て、ぼわーんと感じて、ぶわっと心を動かされる作品でした。

*1:テレビアニメの中では印象的な言葉で、本作では引退している郵便配達人ローランドさんとヴァイオレットが言っている。

*2:これも書きたいことはたくさんある。ギルベルトとヴァイオレット、イザベラとテイラーの関係は似ている。そしてともに孤児でもある。形は違うけれど、別離による深い悲しみをともに背負っている。そしてそれをヴァイオレットが自ら打ち明けていることにも驚いた。

*3:加えて些末なことだけども、やはり名前は薔薇戦争に関連しているのだろう。ヨークとランカスター、イザベラ(イザベル)にネヴィル(イザベラが嫁いだ家)。なぜ薔薇戦争を持ち出したのか、というのは考察を見てみたい。

*4:この時点でエイミーは捨てた名前ではあるけれど、それはエイミーとしての手紙だった。

*5:そうでないにしても、エイミーが自発的に「まだ会うべきじゃない」と思う理由があったのは間違いがない。「一人前の郵便配達人になったら会うんだ」というのを言葉通りに受け取ってもよいけれど、ちょっと私のなかでは繋がらないので誰かに見解を乞いたいと願ってはいる

笹かま

 ラーメン屋でライスを口に押し込んだ私は、満腹のあまり吐きそうになりながら、昔のことを思い出していた。

 食べ物を残すということが「悪」であると学んだのは、言うまでもなく学校の給食だった。そのくせ、給食はときとして子どもにトラウマを植え付けるのだ。

 私にとっては、笹かまがそれだった。あの口に含み噛み締めた瞬間に広がった生臭さは忘れられない。小学三年生くらいだったと思うけれども、飲み込むこともできず、吐き出すこともできず、嘔吐しそうになった。

 それでどうしたかといえば、給食が終わるまで口に含み続け、終わって片付けに入ってからトイレにかけこんで吐き出した。何十分も口に含み続けていた笹かまを吐き出した、あの後味も本当に吐き気がした。

 で、ラーメン屋にいる私は、ライスを食べながら、電撃に打たれたようにそのときの感覚を思い出した。

 もはや、あのこってりした横浜家系自体が私にはきついのだ。もう、無料だからとライスを頼むのはやめよう、と固く思った。

シェアサイクル

 シェアサイクル(コミュニティサイクル)が普及してきた印象を受けています。数年前はほとんど見かけなかったのだけど、最近はサラリーマンや観光客などが利用しているのを見かけますね。頻度としては高くないけれど、珍しくもないというぐらいにはなってきたと思います。カップルが利用しているのを見ると、「新たなスタイルだなあ~」とじんわり感じたりもしますね。

シェアサイクルを使い始めた理由

 私も住んでいる自治体で導入されてから利用しています。疲れ切った仕事帰りに、最寄り駅から自宅までを乗ります。だいたい15分もせずにつくので1回60円、メンテナンスされた電動自転車をこの値段で使えるのはなかなか得だと思うんですよね。

 自分で自転車を買うと、まず自転車代もそうですが、なにより、駅から遠い有料駐輪場(徒歩5分程度)を月2000円払って使い続けるしかないのが私の環境です(さらに遠くには無料駐輪場もありますが、引っかかった自転車を強引に引き抜く人なども多いですしね)。

 でも、60円なら30日使っても1800円、そして駐輪場は駅の真ん前という最高の環境。それでメンテナンスされた10万円以上する電動自転車を使えるのだから、なかなかお得ではないかと。

マイナス要素となりうること

 ただシェアサイクルのマイナス要素となりうるのは、初期登録の煩雑さ、時間と場所に拘束されること、トラブル時の大変さ、あたりでしょうか。一つずつ書きます。

初期登録の煩雑さ

 街中で見かけて「便利そうだな」と思う人はいても、その場で立ち尽くして登録作業をして利用する人というのはそんなにいないと思います。10万円以上する電動自転車を扱う側からしたら、「得体のしれない人には貸せませんよ」っていうのは当然ですけどね。

 ただ手順自体は難しくはないです。メールアドレスなどの情報を入力し、ドコモアカウントやクレジットカードなどと紐づけするだけですからね。自転車でICカード登録を済ませれば、そこからは使いやすくなります。

時間と場所

 当たり前のことですが、自分の自転車と違って、使えば使うほどお金がかかりますし、場所も借りて返すのはステーションですから、例えば自宅近くにステーションがなければ自宅周辺の移動手段としては不便ですよね。また、自分のなじみのない場所では、借りる・返すステーションの場所を探しておく必要があります。

 ステーションのことで、考えにくいけれど有り得ることとして私が恐れているのが、ステーションが埋まる場合です。例えば、疲れ切って自転車に乗って帰ってきて、自宅付近のステーションに着いたら、知らない集団がごっそりそのステーションに返却していて満車状態だった……というケースです。よそのステーションに返すしかないわけですが、近隣のステーションといってもどこも遠いので、とても困ったことになります。結局よそのステーションから徒歩で帰るという、まったく無意味なことになりかねません(笑)

 借りるステーションで「借りられるかどうか」は借りる時点でたいてい見るのですが、「返せるかどうか」はあまり見ないんですよ。「こんなクソ田舎にそんなくるわけないだろ」とたかをくくっている。実際一度もないですが、想像すると怖いところです。……話が反れましたので本線に戻ります。

トラブル時の大変さ

 まず怖いのがバッテリー切れです。利用中にバッテリーが切れると開錠も返却処理も出来なくなります。「買い物しよう~」などと一時駐輪、施錠したままバッテリーが切れたりするとかなり困ったことになります。ちょっと自転車に乗ろうと思っただけなのに……ということは有り得なくはないです(私は2018年からたびたび利用していますが、今のところ一度もありません)。

 ほか、事故、盗難、故障が起きた場合も当然サポートセンターに連絡しないといけないので、その点は当然自分の自転車の場合よりは面倒でしょう。

それでもおすすめ

 裏を返せば、自分の使う状況を考えてこの点をクリアしているなら、シェアサイクルを利用する魅力はあるのかなと。初期登録が面倒でも「今度使いたいな」と思って自宅で落ち着いてやればすぐにできますし、時間と場所が限定されるとはいっても、使いたい場所にステーションがあるのなら移動手段としてはまったく問題ありませんし、観光などなら、一日料金で全日利用もできます。トラブルも、バッテリー切れについてはウェブサイトやアプリからチェックするか、実際に本体で確認することで回避できます。事故や故障、盗難は、まあ普通に気をつけるしかないですね。

 正直、あまり人気が出て自転車争奪戦となっても困るんですが、かといって一定の利用者が出ないと「実証実験」も残念な結果に終わってしまうかもしれないので、そこそこには応援したい……なんて、欲まみれの考えのもとに珍しく宣伝的駄文を書きました。

 参考

東京・自転車シェアリング(千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・江東区・品川区・目黒区・大田区・渋谷区)

大阪バイクシェア

名古屋(名駅~栄)の街ブラ、観光、ビジネスに!名鉄協商シェアサイクル「カリテコバイク」

HELLO CYCLING -どこでも借りられて好きな場所で返せる自転車シェア

自転車シェアリング|東京都環境局

 

アニメ

 秋アニメが始まったので、視聴アニメのリストを更新した。気になる作品が多かったが、切るものも多くなりそうだ。

 前期(夏アニメ)は見たアニメは少なかったものの、「彼方のアストラ」と「ダンベル何キロ持てる?」がとくに面白かった。宇宙を舞台にしたミステリーと、「肉のお兄さん」の圧倒的な存在感。「荒ぶる季節の乙女どもよ。」は、枕を抱えて転がりたくなるような恥ずかしさ。「えすいばつ」ではないけど、ああいう独自の隠語を作ってたよなぁ、この年頃って……と少し懐かしくもなった。ただ気軽に観られる作品が多かった一方で、考察系のものはなかったかなという寡聞的感想。

 

視聴アニメ:2019冬~秋 - もの知らず日記