もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

聴衆引退

 クラシックのコンサートの迷惑行為は、ほとんどはその人の無神経さに原因があることが多いけれど、高齢でマナーを守ることがもう生理的に難しいということもあるのかな、と思うこともある。そもそも聴衆に求められる「静かに聴く」ということは、難しいことなのだ。ふかふかの低い椅子に深く腰掛ければ足腰に負担がかかり、演奏中の数十分じっと座っていればお尻も膝も痛くなってくる。一切音を立ててはいけないというのも、考えてみればなかなか大変なことだ。

 ただ私は、残酷なようだけど、マナーを守ることが出来なくなったのなら、その時点で聴衆を引退すべきではないかと思う。それはプロの演奏家が自らの衰えを悟って引退を示す場合と同じように、聴衆としての一つのケジメであると、私は考える。

 こんなことを書くのは、冒頭を読んで頂ければ察して頂けると思うけれど、聴衆としてのマナーをもはや守れないような人が散見されるからだ。長時間じっと出来ず、杖が当たって演奏中なのにカタカタと音を鳴らしてしまう。咳を繰り返してしまう。座席の間違いに気がつかず、指摘されるまでずっと座っている。スマホの操作が分からず、演奏中に着信音を爆音で鳴らしてしまう。これらの多くは肉体や五感や知能などあらゆる面での衰えによることは否めず、それは歳を重ねれば必然的に訪れるのだから致し方ないこととも言える。

 従って、加齢に伴って生じるこうした問題は、無神経で思いやりのない人間による迷惑行為の場合とは明らかに違う。だから私は、自分の主張が排他的な要素を持つことを自覚している。これを書いていても心が痛い。いずれは自分にも突き刺さる問題なのだ。

 それは悪意のない誤りさえ認めないと言うことだから、偏屈と言われても仕方がない気もする。しかし、私と同じように思う人も少なからずいると思うのだ。

 私自身は、もしそうなったときには即座に引退すると決めている。私にとって音楽は文字通り「生きる糧」でもある(造詣が深いということではない)し、じっと聴くこと自体が難しいということは、ホールへ行くにも相当に苦労するはずだから、そうなってでも「自分はホールでこの演奏を聴きたい」と言う気持ちには心底共感を覚えるし、その覚悟に対しては畏敬の念さえ覚える。しかし、それでも、自分が鑑賞することが必然的に他の聴衆に迷惑を及ぼすような状態になったときには、聴衆を引退すべきなのではないか。

 未就学児の場合と同じように、一定の排除は正当化されるように思える。ただ未就学児が原則一律に入場を制限されているのとは違って、高齢者は自分で判断することになるだろう。

 プロの演奏家が自らの衰えを悟って引退を示す場合と同じように、聴衆もまた自らの衰えを悟ったときには、自分で幕を引くことが必要なのではないか、と、私は考えている。