もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

クイズ番組を一緒に観てても面白くない人(補足)

 勢いだけで書いた愚痴日記を森淳(もりすなお)さんに言及して頂き、恐縮しっぱなしです(正解はどちら? - モリノスノザジ)。ありがとうございます。

 返事をしたいと思ったけれど、長くなって「面倒くさい奴リスト」に行くのが間違いないのでやめた。

 わたしの一番言いたい部分をまとめると、(1)検索するというのは(感覚的に)ズルであり、(2)考えている人にバラすというのはネタバレと同じような無神経さが嫌だ、ということだ。だからそんな人とはクイズ番組を観ても面白くない、ということになる。もちろん、わたしは日ごろからこのようなことを考えながらテレビを観ているわけではない。プロセスとしては真逆で、日常の違和感を言語化するとこのようなことなのではないか、という話にすぎない。

 検索がズルだというのは、別に視聴の仕方にルールなどあるわけもないが、荒唐無稽とまで言う話でもない。我が家のお茶の間における暗黙のルールに反しているのだ。クイズ番組の出演者らは、ふつう自分の知識や思考、頭のなかにあるものだけで勝負をしている(演出上の調整などがありうるとしても)。お茶の間においてもそのルールを継承したうえで「これが正解では」と話し合うことで盛り上がる。ルールの上にゲームがある。だが検索はこのルールから外れる。それでも自分のなかだけのルール違反なら何の問題もないのだ。

 しかし考えている人にバラすのは問題であろう。他人にバラすかどうか。ここが境界線だ。もちろん例外(検索が正当化される状況)がないとは言わないが、人にとって考えたり想像することが楽しみであるとするなら、それを奪うという点ではネタバレと同じくたいてい嫌われる行為ではある。

 裏を返せば、(1)検索というズル、と(2)ネタバレと言う無神経さ、この2つが揃っていなければいいのだ。だから、森さんが指摘されている「調べずとも正解が分かってしまったときにそれを言うのはセーフだろうか?」という問題は、わたしのなかではほぼセーフだ。検索というズルをしていないからだ。そしておそらく無神経でもない。頑張って考えている人を前にあっさり答えをバラすというようなことは、「一緒に楽しむ」という感覚を持つ人ならばほとんどしないだろう。

 それに、自分の知識や考えた結果というのは、「1+1」の答えのようにどれほどそれが確かな確信であろうと、あくまでも「解答」でしかない。「正答」ではないのだ。だが検索するということは「正答」をのぞき見るということだ。そのうえで威張るということは、いわば算数のドリルの「答え」をのぞき見て「この問題の答えはこうだ、どうだ、この問題が分かる俺はすごいだろう」と言うのと同じことであり、もはや何を自慢しているのか分からない、という話なのだ。すごいと思われたいという欲求が強くなりすぎると、こういう滑稽な迷走をしてしまって、結局すごいと思われるどころかますます人が離れてゆくものだ。そうならないよう、戒めとしたい。