もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

打ち込み日記

 最近、打ち込みたいと思う作品に出会えていない。漠然と「この曲が好きだ」というくらいの思いでは打ち込めない。何千というおたまじゃくしを長さを調節して入力し、ひとつひとつの強さを整え、響きはどうか、さらにフレーズとして破綻していないか、ペダルはこれくらいでいいか、などなどのことを確かめながら、石をひとつひとつ積み上げるように作ってゆく。気の遠くなるようなパズルだ。わたしの求める品質は決して高くはないのだが、それでも演奏としてある程度成立していないと困る。となると、打ち込みはそれなりに大変であって、半端な思い入れではまず頓挫してしまう。「こういう表現もできるのでは」「なぜ誰もこのような表現を試さないのか」というくらいの、傲慢な思い込み、強い問題意識が、気の遠くなるような打ち込みという作業を貫徹する原動力になる。

 今の部分だけでもいくつかの話題が出た。まず私の目指す品質について。私が品質面で目指す目標は、演奏像の骨格を示すこと。人の演奏を再現することは難しく、またその意味もあまりないと考えている。そもそも、私がおもにやっているのは、通常人の弾く作品をわざわざ機械的な方法で再現することである。人と競うのでは、人が弾けばいいではないか、ということになってしまう。出来そこないの焼き直しを作る意味はないと、私は思う。もちろん「だれだれの演奏を再現してみた」と、そういう楽しみ方も有り得るので、それを否定はしない。けれど、私は「ではその人の演奏を聴けばよいではないか」と思ってしまう。

 なぜ打ち込むのか。それは自分にとって打ち込みが表現手段だからだ。ピアノが弾けないから打ち込むのだ。だから、「自分はこうしたいのだ」「こう感じたのだ」という意図だけでも込める必要がある。それが演奏像の骨格を示すということである。伝わるかは知らないが、伝わる”かもしれない”こと。その可能性を与えることが大切だと思う。

 ピアノの打ち込みは、シンプルで奥が深い。ピアノ本体のあっけにとられるような複雑さに対し、打ち込みに関わるパラメータはまったく分かりやすい。音の高さと長さ。打鍵の強さ(ベロシティ)。ペダル(ダンパーペダル、ソフトペダル)。全体のテンポ。ほかの楽器と比べると、一度鳴らした音の面倒を見る必要がないので便利だと思う(いろんな人に怒られそう)。ラの音を鳴らせば、ラの音は「ばいばーい」と言って消えてゆく。反面、一度にたくさんの音を面倒見なければならないので便利でもない。前言を撤回せざるをえない。まあ、音の高さ、長さ、打鍵の強さ、ペダル、テンポだけを整えればよいだけなので、作業としてはシンプルなのである。けれどそのシンプルな作業を何度も繰り返しながら作り上げてゆくから大変なのだ。

 その点、自分でいちばんよくできたと思うのはエオリアン・ハープだった(”自分にしては”という前提ではあるが)。動く内声のフレーズをあえて強調しない演奏を作ってみようと思って打ち込んだ。「私は分かってますよ」と言わんばかりにわざとらしく示す必要はない。それはほのめかされ、聞き手に「聴かせる」のではなく「聴こえてくる」音であるべきだと私は思う。「聴かせる」のではなく「聴こえてくる」ことが大切だと思った。もちろん逆の場合、「聴かせる」べきときもある。その使い分けの妙が、ショパンの面白さの一つだとも思う。あと打ち込んだもう一つの理由は、単純に、響きがほんとうに溶けあったものを作ってみたかったということ。これも、伴奏形に合わせてベロシティを変えたり、音の高さ(保続する時間が違う)を考えて、とか、いろいろやったけど、結局はシンプルに同じベロシティでやったほうがうまく行った。たしかにベロシティを変えて調節すれば、響きは均一になるのかもしれないけれど、打鍵時の音がばらついてしまう。考えてみれば、叩く瞬間の音がもっとも強い印象を与えるのは当たり前のことだった。

 さらに「こういう表現もできるのでは」と思った部分やその実践、そういう曲に出会えていない現状についてぼやきたかったのだけど、あっという間に1700字が近づいてきたので終了。