もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

スティーヴン・ギャロウェイ「サラエボのチェリスト」

 小説はあまり読まないのだが、ときに小説は生きる力を与えてくれることもある。今日読んだ「サラエボチェリスト」も、私にとってはそうだった。

 戦火に包まれたサラエボで自らの危険を顧みず演奏を続けたチェリストと、そのチェリストの演奏に心打たれた3人の物語。

 読んで何より思ったのは、生物として生きていることと、人間として生きることは違うということだ。生きながらにして死んでいる人もいれば、生きるために死ぬ人もいる。それは死を選ぶということではない。彼女は生を選んだのだ。

 生命が脅かされる極限の状況で、彼らは人間として生きる決意をした。それは、いかなる場合にも清くあれというような生ぬるいものでもなければ、砲煙弾雨のなかに飛び込むようなドラマチックな一場面でもない。しかし、それは彼ら自身にとって、顔を、魂を、自分という存在を取り戻す瞬間だった。そして、その自分を取り戻す過程にチェリストの音楽が重要な意味を持っていることを忘れてはいけない。幽霊となった、あるいはなりつつある存在が人間に戻るためには、何かが必要だ。

 悲しみや絶望という安っぽい言葉を通り越えた先に、灰色の世界がある。そして人びとはその中にいる。けれども、灰色の世界から戻ってくることは可能なのだ。「エミナの体は通りに立ち込める灰色に覆われてはいなかった (p. 145)」のだし、「スナイパーは笑顔 (p. 168)」になったのだから。読後よくよく考えると、私はその力強いメッセージに圧倒されたし、頭をぶん殴られたのだ。私たちも「生きよう」、頑張ろう。そう思わせてくれる力が、この本にはある。