もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

コーヒー

 いつの間にかコーヒーが飲めるようになっていた。砂糖なしのコーヒー。他人からすれば「あっそ」という話に違いないけれども、これは私のなかでは革命に等しい出来事だった。つまり、それまで「私」だと思って疑わなかったものが、じつは違うなにかになっていたということなのだ。よく、「人間の細胞は絶えず入れ替わっていて、数カ月で全てが入れ替わっている」などと言う話はいるけれど、それでも自分は自分だと思っていた。

 私にとってブラックコーヒーは「大人」の象徴であり、私には関係のないものだと思ってきた。あんなに苦いものを飲めるはずがないと思ってきた。この確信の強さは、おそらく他の人には分からないほどに、強固なものだった。

 だからこそ、何気なく出されたコーヒーを不味さも感じずにいる自分がいることに気がついたとき、私の空っぽの脳みそにひとつのクエスチョンマークが浮かび、それから「歳をとったのだ」という実感と、それに対する戸惑いと悲しみが、ゆっくりとやってきた。

 コーヒーの苦味は、人々に人生や恋愛のほろ苦さを連想させる。けれど、やがては、その苦味すら感じなくなってゆくのではないか。悪魔のように真っ黒な、地獄のように熱いコーヒーさえ、何とも思わないようになるのではないか。

 そんな不安をかき消すように、カフェオレに大量のはちみつを入れて、飲み干した。