もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

パーティーにやってきた酔っぱらい

 うろ覚えなのだけど、ポピュリズムはパーティーにやってきた酔っぱらい客のようなものである、という旨の言葉を思い出す。ただそれを思い出したきっかけは、ポピュリズムの話ではなくてもっと低次元での出来事だ。

 ここでいう「パーティーにやってきた酔っぱらい客」というのは、招かれざる客でありながら、周囲の人びとが抱えている「言いたいけど言えないこと」を言ってくれる存在ということだ。言いたいけど言えないことというのは誰にでもある。並んでいた行列に割り込まれて「ふざけんな!!」と思いながらも言えないかもしれないし、店員から粗雑な対応を受けてもそれを指摘することはできないかもしれない。じつは不満を上手に発散することは必要なことなのだろうが、悪い人(クレーマーなど)に見られたくないがゆえにそれも出来ない、というところに葛藤が生じる。

 ちょうど先日そんなことと考えさせられる経験をした。

 街を歩いていたら、後ろから、男の悲鳴にも近い叫び声がした。よく聞くと、「歩きスマホはやめろっ!」と叫んでいるらしかった。私はそのおじさんの周りの人を観察してみた。すると彼の叫び声は明らかに効果があったとみえて、彼の周囲だけスマホを引っ込める人がちらほらいたのだ。

 そのおじさんは、周囲から自分が異常者であると見られることと引き換えに、自分の周囲だけとはいえ、自分の満足する秩序をいくらかは取り戻した。だが彼はそれでも満足しなかったようで、「歩きスマホはやめろっ!」と叫びながら去っていった。

 彼のように、自分のなかにある「世界のルール」に他人を従えようとする行動力を持っていたら、どんなにいいことだろう。通勤ラッシュに身を投じる戦士たちは、歩きスマホがいかに邪魔であるかを日々知っている。彼のように怒りをあらわにすることはなくても、本当は彼のように「歩きスマホはやめろっ!」と怒鳴り散らしてやりたいと思っている人もいるはずだ。そして私の印象では、怒鳴り散らすおじさんの存在は「歩きスマホはやめましょう」というポスターよりも歩きスマホをやめさせる力があったと思う。

 もちろん、これはパーティーにやってきた、招かれざる酔っ払い客なのだ。その酔っ払い客は作法は極めて不適切で礼儀もへったくれもない。だけどもその言うことは少なからぬ人びとが心に秘めている不満(本音)を代弁していて、その行動力はたしかに宣言どおりの成果を挙げた。もっとも、社会というパーティーが酔っ払いだらけになってしまうというのは、考えるだけでも恐ろしいことではあるのだけど。