もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

慢心

 慢心というものを徹底的に排除したいと思うことがある。慢心があることを自覚せずにうぬぼれるのは論外としても、自分に慢心があると分かっていても、なかなか排除できないのだ。例えばスポーツの基礎的な練習などがそうだ。基礎の重要性というのはあらゆるスポーツで重要とされるものだと思うけれど、それと同じくらい油断しやすいものではないかと思う。あまりにも初歩的で、機械的なのだ。だから心のどこかで「こんなこと、自分なら簡単に出来る」と思ってしまう。

 すこし回りくどい話になるけれど、いまわたしは仕事でそれを感じている。「これくらい、頑張れば出来るだろう」と思ってしまっている。それはあまりにも初歩的なことで、能力的には出来るものだろうとは思っている。だが、その慢心が思わぬ失敗を招くこともある。そしてそれはたいてい本当に「思わぬこと」なのだ。そして失敗したあとになってから「なぜこんなことでこんなミスを……」と落胆するのがオチだ。

 わたしがここで問題にしたいのは、失敗をしない方法ではない。それは「失敗する余地があるときは必ず失敗する」というような格言をつねに戒めとするしかない。わたしが問題にしたいのは、自分で自分に慢心があると気づいたとき、どのように気持ちを引き締めることが出来るか、ということだ。

 最近よく思うのは、心をゼロの状態に戻すことが出来ないか、ということだ。今までの自分を忘れて、目の前の現実を見る。ある人が語った、「役者にとって必要な才能とは、物事を真っ直ぐに見つめることだ」という言葉を思い出す。わたしもこの意味でまさに役者のように、透徹したまなざしを持ちたい。慢心を排除するだとか、そういうレベルを抜け出したい。

 自分の精神的な未熟さを思うと、久しぶりの凍てつく風がいっそう沁みた。