カズオ・イシグロさんの『文学白熱教室』を今さら見たので、メモ(何年前だ……)。
小説はほんとうに娯楽の一手段以上のものなのか。
なぜ事実ではない話を読みたいと思うのか。 なぜエッセー、歴史書や科学書ではないのか。 たしかな事実が詰まっていて、確実な知識が得られるのに。
なぜ小説を書くのか
根底にある理由: 薄らいでゆく記憶のなかの「日本」を記録する。見たこと、両親に聞かされたこと。 現実の日本ではなく、秘密裏に残していたかけがえのない「日本」を紙に書き記したかった。
自伝ではない。視覚的感覚的に覚えている世界をつくる。
20代の自分に何かをいえるとしたら:
いまの自分は20代の自分を賞賛するであろう。 若い作家としての自分をうらやましいと思う。当時の自分には湧き上がるように想念を膨らませるパワーがあった。子ども時代とのつながりや記憶を持っていたからだ。20代の作家にしかない独特の力がある。 →花
読者の読み方の限界:
3冊目でイギリスを舞台にした。 普遍的なことを描いていたつもりが、日本のこととして受けいれられていた。 →ナショナリズム 舞台設定やジャンルは自由に動かすことができることに気がついた。
アイデアをまとめる:
センテンスで書きとめる。寝かせたり、見返したりする。 物語は抽象的なところから始まる。 例:3作目。完全無欠な執事になりたい男の物語。舞台はどこでもよい。
なぜ現実とは違った世界を描くのか:
現実世界と似て非なる世界。現実を際だたせた世界。 フィクションとは何なのか。 実生活にあるものは想像から生まれた。
なぜ小説なのか:
小節でしか成り立ちえない形を模索しようと思った。
プルースト『失われた時を求めて』を読んだ。 記憶だけで描かれているところがある。 30年前の場面が2日前の出来事と直結して語られる。 不安定な記憶の流れを描く。それはほかの形では得られない。小説を読まなければ体験できない。
筋書きに固執して時系列に話を展開するよりも、語り手の内なる考えや関係性を追って書きだした。
私にとって記憶は、一枚の写真のようなものだ。 映画だと、過去の感触が消え失せてしまう。
記憶の信頼性:
信頼できないことが小説家にとってはかえって強みになる。 信頼できない語り手を置く。 他人に、自身にウソをつく語り手。 読者は、建前に隠された本音を見抜くスキルを使う。
いつまで暗い記憶を忘れるのか。いつ向かい合い思い出すのか。 個人的記憶、社会的記憶。 つらい記憶を忘れることはよいことなのか。 人種差別、過去の美化。
事実ではないことをつくり出す人間は、責任を持たなくてはならないと思う。 どこまで責任を持つべきなのか。
イギリスの執事の隠喩(メタファー)
感情発露への恐れ、多くの人びとの政治的関心(盲目的な従事)
小説はウソを伝えるものなのか:
小説は創られた物語 小説には真実が含まれる