もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

「医学的根拠とは何か」

7月31日 : 津田敏秀「医学的根拠とは何か」


 人間を対象とする統計学を用いた研究を知らない多くの直感派の医師や医学研究者は、多いことや少ないことや発生するとかしないとかは、形容詞や副詞的表現でどうにでもごまかせると考えている。メカニズム派の影響で、病気の発生が多いことを観察し確認することで因果関係を察知することすら知らない。このような積み重ねは、公害事件などにおいて確信犯的な医学者のつけ入る隙を作ってきた。放射線による健康影響の問題では、もはや確信犯なのかそれとも無知なのかわからない状況をつくりだしている (p. 103)。
◆日本の「医学的根拠」の根本的な問題を指摘する一冊。そこには、人間や患者をみるはずの医学が人間を見ずに研究しているという奇妙な矛盾が存在する。なぜなら、彼らは科学的根拠に基づいて決定を下し説明する方法を持たないからだ。このことによって、でたらめともいえるさまざまな医学的根拠と、それにもとづく判断がなされてきた(序章・3章)。そこで著者は、疫学(≒統計学)にもとづいて数量的に示される「医学的根拠」の重要性を強調する。

◆著者は医学的根拠を3つに分類している。経験・直感にもとづく「直感派」。細菌などのミクロなレベルからアプローチする「メカニズム派」。統計データの比較などをによってマクロなレベルからアプローチする「数量化派」。数量化は、直感派やメカニズム派の知見を科学の言葉に置き換える手段であり、世界的には、”実際に人間に現れた現象”を数量化し、原因との因果関係の程度を把握する手法が確立され、用いられてきた。たとえば、1993年にアメリカで提唱されたEvidence-Based Medicineは、疫学では「直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理づけ〔メカニズム的説明〕」を判断材料として重視はしないと宣言している。

◆ところが、日本では”実際に人間に現れた現象”を数量化する段階でも、それを比較するなどして科学の言葉に置き換える段階でも大きな問題を抱えている。日本の医学には欧米諸国の疫学の知見が取り入れられておらず、「数量化派」を「統計的なデータの分析結果は個別の人間にあてはまるわけではない」とする、(著者のいう)19世紀のヨーロッパの議論が続いているのである。著者が主張するのは、「直感派」と「メカニズム派」を排斥することではなく、彼らの知見を、一般法則としての科学の言葉に置き換えることであり、そうした人材をうみだす医学界の体制を作ることである。「医学的根拠」をめぐるこの重大な問題に、どのように立ち向かうことができるのだろうか。

* 感想 *
「医学的根拠」というと、とくにメカニズム派の「医学的根拠」をイメージしやすい(”~菌が~秒の原因である”というような)けれど、この本を読んで大きくイメージが変わった。データを集め分析する手法が確立すれば、素早く、分かりやすい医学的判断を下すことができる。