もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

私の冷凍食品遍歴

 子どものころから冷凍食品を食べてきた――と言うと不摂生な人間に思われるかもしれないけれど、私の母も私も、それだけ「時短」の恩恵に預かってきたとも言える。そのなかでも数度だけ、そればかり食べていた、という商品がいくつかある。

 最初は小さいころで、クリームコロッケにハマっていた。メーカーは覚えていないがだいたい冷凍食品と言えばニッスイニチレイだろう。幼稚園の遠足のお弁当には必ず入っていたし、好物だったので家でもよく出してくれた。あるとき法事で親戚一同集まったとき、私は好きな食べ物を聞かれて「冷凍食品のコロッケ!」と答えて母に恥をかかせたことがある。当時は今よりも「冷凍食品=手抜き」という認識が世間一般にあったと思うし、特に年配の人はそうだった。

 それから冷凍ピザだ。ピザ遍歴については以前に少し書いた(私のピザ歴史 - もの知らず日記)が、そもそもの始まりは小学生のころに買ってもらった、チンするだけで出来るというピザだ。共働きで留守番をすることもあって(大半は外で鼻を垂らして遊んでいたのだが)、火を使った調理は危ない、となると、冷凍食品のお世話になるのは自然なことだった。「明治レンジピッツァ&ピッツァ2枚入」は私のピザ歴史の始まりの始まりで、2022年の現時点でこの商品が今なお売られていることに感動すら覚える。

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 チャーハンばかり買った時期もあった。チンしたチャーハンに中華鍋でさっと炒った卵をかぶせて食べるのがうまかった。これは間違いなくニチレイの「本格炒め炒飯」だ。そもそもチャーハンは作るのも食べるのも好きだったのだけど、やはり作るのは大変だ。ネギを切ったり、チャーシューを用意するのがなんとも面倒くさい。これだけおいしいチャーハンが冷凍食品で食べられるのは、私にとっては革命的なことだった。それまで冷凍食品は手作りの出来損ないというか、弁当用だから仕方ないと思っていたのが、手作りよりも楽で美味しいものが出てきたように思う。

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 私が冷凍食品で最もハマったのが麺類だ。中学生~高校のころは日清の「どん兵衛 鴨だしそば」。高校生から大学卒業あたりまではキンレイの「ラーメン横綱」。時期が重なって大学在学中から卒業後数年くらいまではマルハニチロの「横浜あんかけラーメン」。そしてこの冬はシマダヤの「冷凍 ほうとう」。冬はほうとうばかり買っていた。ほうとうとあんかけラーメンで、7:3くらいの割合で買っていて、時によってはほうとう3個、あんかけ1個を買って、たちまちほうとう1個になった、という具合だった。ハマりすぎだろ……(笑) いつもお世話になっております。

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www.kinrei.com

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石川町散歩

 石川町を散歩。欲しいCDが伊勢佐木(いせざき)のブックオフにあったので、横浜に用事があればついでに行こうと思っていました。私の好きな旅番組「世界ふれあい街歩き」ならぬ「横浜ふれあわない街歩き」。

 みなとみらいからレンタサイクルで伊勢佐木モールへ。ブックオフでお目当てのCDを買いました。さらに石川町へ出て、そこから散歩しました。

 駅から坂を上って、山手イタリア山庭園へ。

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今日の夢

 森繁精肉店という店。森繁久彌さんの実家だという(事実とは異なる)。曇りガラスで中は見えず、扉には「お客様のために」というつまらない文句。中に入ると肉屋の前掛けをした背の高い白人と小さな日本人女性がいる。入口の左側にも扉があって、スーパーに通り抜けできるようになっている。体調が良くないからスーパーで野菜でも買って鍋にしようと思い、入ってすぐにある野菜コーナーを見る。本わさびが1600円の半額だというので買ってその場でつまみ食いしたら、干からびたきゅうりだった。青臭くて苦々しい顔になった。

トリイ・ヘイデン「うそをつく子」

 トリイ・ヘイデンの「うそをつく子」を読んだ。息をするように嘘をつき、さまざまな問題を引き起こす女の子の物語。家族に馴染めず、里親の家庭でも問題を引き起こして、すぐに施設へと帰される。誰もが彼女の虚言癖にうんざりして、半ば彼女を見捨ててしまうのだけど、著者のトリイは彼女と向き合い続ける。

 まともに内容も紹介せず感想だけ書いてしまうのだけど、読み終えて最初に感じたのは、一人の人間の心を解きほぐすには、これほどの手間が必要なのか、という疲労感。はっきり言えば、私自身もたぶんジェシーみたいな子が居たら、関わらないようにするだろうと思う。

 なんといっても、利得や楽しみのためではなくて、理由もなく嘘をつくのだから恐ろしい。そのうえで言い訳のためにも嘘をつくし、ときに攻撃的になって暴力を振るう。里親の家で放尿をして施設に帰されたりもしている。反応性愛着障害に対する知識を持った大人であっても、彼女の問題行動には全く歯が立たない。トリイが他の大人と違うのは、やはり根気強く接し続けたことだろうと思う。支援するためのプログラムはどこかで画一化せざるを得ない部分があるのだけど、その根本には人間対人間の数量化されえないところがあるということを教えてくれる本でもあると思う。

 ジェシーのケースは家庭的な問題があり、そこには社会的な背景もある。母親はうつ病でネグレクト傾向にあり、さほど年の差の変わらない姉が幼いジェシーの養育の多くを担っていた(この時点で何らかの介入が出来ていたら、というのは、私が結末を知っているから言えることだ)。子育てを担う大人たちが病み、子育てを助ける社会的な繋がりが薄れてゆけば、こういうことはこれからますます深刻になってくるのではないか、とも思う。けれど、そうした問題に光を与えてくれる本でもある。まだ、取り返しはつくのだと。

 著者は特別支援学級をはじめ、さまざまな難問を抱える子どもたちと接してきた人物だけれども、もちろんそれは常にうまくゆくわけではない。それでも、「シーラという子」などの前著から変わらず、一筋縄ではゆかない子どもたちに対して、愛情深くそして冷静に、根気よく接し続ける著者の姿勢に、私はただただ脱帽するばかりだった。人と向き合うって、大変だ。

 

卒業

 よく行くカフェも卒業シーズン。社会人になる子たちは今月でいなくなってしまうので、挨拶でもないけれど、顔を覗こうと思って、普段は行かない夕方に行ってみた。

 そうしたら、ずいぶん見ていなかった男の子が居た。聞くと、彼は一ヶ月ほど前から来なくなっていて、今日は顔を出しに来たのだという。最後に挨拶出来たのは運が良かった。記念にと写真も撮ってくれたのだが、もらうのを忘れてしまった。

 思えば2年ほどになる。それは客と店員という限りなく薄い関係で、あえてプライベートのことを聞くようなこともなかった。それでも、週一日以上は顔を合わせていたから、私は当然彼の顔を認識していたし、あちらでも私の注文を覚えてくれていた。

 彼は冷え込んでいる日だというのに額に汗をかいて、別れの挨拶にも涙ぐんでいた。私もまた感極まって、「あなたたちみたいに、周りの人たちに活力を与える人の存在が、これからの世の中には大切だと思う」などと、あまりにもおっさん臭すぎるカビの生えた説教をしてしまったと、いま猛烈に反省している。若者への説教はだめだと、かの高田純次も言っているではないか。恥ずかしい!

 けれど、本心からそう思っているのも事実だ。世の中には、心を擦り減らし、鈍麻しきった大人が大勢いる。余裕なく、自分が自分がという人も多い。そんな世の中に新しい風をもたらす人たちが今、社会に飛び出したのだと、私はなんとも嬉しくなった。