もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

エスカレーターの悲しみ

 ぼやき。

 東京のエスカレーターは、本当に非合理的だ。けれども、仕方無しに非合理の海に身を任せるしかないのが、東京の、あるいは都市の恐ろしさだ。

 エスカレーター前で一列になろうとするから、人だかりが出来る。片側を空けるのは急ぐ人のためなのだが、実際この長過ぎるエスカレーターを走破してまで急ごうという人はごくわずかだ。つまり、少なくとも、私が今さらされているこの状況においては、ほとんど意味がない。

 それでも急ごうという人に少数の人にとっては時間の短縮になるのだが、そのためにどれだけの人が待たされているのかを考えれば、もはや無意味どころか有害でさえあることが分かるように思う。

 エスカレーターの正しい使い方は2列並んで使用すること*1であり、地下鉄などでもキャンペーンが展開されたこともあったと記憶しているが、そのさなかでさえ効果を実感することはなかった。なぜこうも人びとは道を譲りたがるのか。それも、自分や大勢の人間の時間を犠牲にしてまで。

 それは思いやりというよりも、他人に文句をつけられたくないという恐れから来るのではないか、という気もする。少なくとも人びとは、全体の輸送量を最大化しようとは考えていない。輸送という目的にとっては非合理的ではあるけれど、別の価値から見れば説明できるのかもしれない。

 皆さんは、なぜエスカレーターの道を開けるのか? と、私はエスカレーターに乗るたびに問いかけたい気持ちになる。そして私自身もまた、そう思いながらも、この非合理の海に身を任せるしかない、悲しい東京人の一員なのである。

自作 - Etude "The three-hand" in G major.

 自作の練習曲を公開した。ピアノの弾けない人間が作った、弾けない練習曲。穏やかな雰囲気とは裏腹に、無謀な手の動きとアクセントを要求する。たぶん弾けないのだけど、では機械のための作品かと言うとあまりにシンプルすぎる。そんな中途半端な作品でも、この曲は自分にとってそれなりに思い入れがある。

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リスクホメオスタシス的な朝

 今日はいつもよりも早起きしたのに、結局いつもと同じ時間に家を出た。それでふと思い出したのが、リスクホメオスタシス(リスク恒常性)という考え方だ。

 自動車の安全性(運転のサポート、道路工事、取り締まりの強化など)が向上しても、その分だけ人は速度を出すなどリスクを高める行動をとるため、結局事故のリスク自体はほとんど変わらない。これをジェラルド・ワイルドという人はリスクホメオスタシス理論 (RHT : Risk Homeostasis Theory) として唱えた……というのは、以前に読んだにわか知識だ(「交通事故はなぜなくならないか」 - もの知らず日記)。

 結局早起きをしようが、その分だけぼーっとしたり、テレビを見たり、スマホでゲームをしたりしていて、結局家を出る時間が変わらない。まったくどうしようもない人間だ。

 リスクホメオスタシス理論に対しては、「では、安全装置は無駄だと言うのか」という曲解に基づく非難が浴びせられるのだけど、まさしく私自身も、私自身に対して「早起きは無駄だというのか」という非難を浴びせている。どちらも事実はそうではないだろう。安全装置には意味があり、早起きもまた、早く自宅を出ることに対してきっと意味があるはずなのだ。

 この批判に対してリスクホメオスタシス理論は、ドライバー自身がリスクの許容水準を下げることの重要さを強調している。ドライバー自身がリスクを意識することであり、また意識するように制度的に動機づけることである。

 こういうことを思い出して、私自身もまさしく、自宅を早く出ることを意識し、また、自宅を早く出るように動機づけることが必要だなと思っている。しかし本書と同じように、そのためにどのような制度を作るかとなると、なかなか難しいところである。……いやいや、たかが一個人のことなのだから、簡単なはずだのだが。

 はぁ、今日もリスクホメオスタシス的な朝を過ごしてしまったな、と電車のなかでため息をついている。まぁ、これも誤読三昧のトンチンカンの戯言です。

踏んだり蹴ったり新年

 思えば、このブログで元日の挨拶を書いたことは殆ど無い。理由の一つは、私が年末年始に休むことがほとんどないからで、もう一つはこの日記自体があまり日記になっていないからだ。

 だから私がこの2022年にこのブログで新年の挨拶を書こうと思ったとき、私の頭の中には「あけましてほベブッ ( 'д'⊂彡☆))Д´) パーン」という文字列しか思い浮かばなかった。反射的に挨拶が書けない。仕方がないので、代えて、あけましてホベブと言うことにした。

 それでなぜ今年に限ってこんなしょうもないことを書いているかというと、私はこの年末年始ずっと熱があってベッドに仰臥していたからだ。我が尻青く若き人生において、確実に史上最悪の年越しである。次点で年始の挨拶で自らのキャパシティも弁えず欲望のままに暴食をし祖母の家でゲロを撒き散らした5歳の正月が来る。帰りの自動車で緑茶を飲んだ途端に出てきた緑色のゲロは一生忘れない。汚くてすみません。

 それでも休みの間に回復すれば休みを楽しめて大喜びだが、休みの間中疲れ切っていたのだから最悪だ。自分の体に腹が立つ。PCR検査等で除外されたのはせめてもの幸運か。それも相対的にはましというだけで、慰めにはならない。

 さらに、たった今、iDの更新手続きにまた失敗した。例の「S0152」だ。来年の私よ、覚えておくが良い、「d払いによるiDの更新手続き」だ。

 あーあ。うまく行かないときって、なにをやってもうまく行かないものよね。いっそ何もしないほうがいいのだわ。まーたdカードセンターに問い合わせなきゃ……。それも一つの運試しだ。運が悪ければ、そもそもオペレーターに繋がらないかもしれない。試した結果繋がったから、少なくとも今年は凶では無さそうだ。結局、来月から使えるようになるとのこと。去年は難なくその場で使えるようにしてもらえたのだけど、あれが特別すぎたのか。特別にしては二度やってもらっていて、今回のような対応のほうが初めてなのだけど。

 なんだか、iDの更新に失敗してdカードセンターに問い合わせるのが毎年の恒例行事のようになっていて笑える。「ありがとうございました」と言って、その辺にスマホをポイと投げた。何だかひどく疲れて、横になっていた。咳もくしゃみも頭痛も腹痛も無いのに、体温はしばらく下がらなかった。

 三が日が過ぎて、ようやく解熱した。まったくこの熱は几帳面なほど正確に休みを踏み潰してくれた。先行きの思いやられる年始だったが、さらに体調が戻ってくればもう少し気分も明るくなるだろうと思う。そんなこんなで正直干支が何だったかもさほど関心の薄い年始なのだが、心新たに頑張ろうわっしょいというところである。

2022視聴アニメ

リストについて

  1. まず、放送前の紹介一覧から気になる作品を片っ端から記録
  2. 一話を視聴後、視聴アニメをリストに残す
  3. 途中で視聴をやめた作品は削除。ただし、いずれ観るかもしれない作品は取り消し線で残す

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