もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

ギザ十は天下の回りもの

 ギザ十は天下を回る。手元にやってきたときには、少しばかり嬉しくなって、大切にしようと思って小銭入れの中にしまっておくのだが、気がつくといつの間にか居なくなっている。そしてそれが誰かの手元に流れ、回ってゆく。

 金と比べれば、ギザ十をあえて貯め込もうという人は、多くはないだろう。金の流れに比べれば、ギザ十はよほど清らかだ。人の欲に縛られることなく、自由に流れてゆく。

 もっとも、ギザ十がヤフーオークションで売られていたりもするわけだが、大半の人はそこまで関心を持たないだろうから、やはりギザ十は天下の回りものである、という説を、私は推したい。

2021視聴アニメ

リストについて

  1. まず、放送前の紹介一覧から気になる作品を片っ端から記録
  2. 一話を視聴後、視聴アニメをリストに残す
  3. 途中で視聴をやめた作品は削除。ただし、いずれ観るかもしれない作品は取り消し線で残す

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「10の質問」への真剣な回答

 直感的にぱっと書いてしまおうかと思ったけれど、書いたり消したりしていたら、なんだかんだで1か月もかかってしまった。冗談ばかり書いているこのブログだが、今回はそれなりに真剣に書いてみようと、気まぐれにやる気を出してしまった。

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

 ブログ名「もの知らず日記」は、「何を知っているか」ではなく「何を知らないか」が大切だ、という私の考えからです。何を言っても、お前は不出来で小さな存在なのだ、という戒めを込めてつけました。
 ハンドルネーム dolce_sfogato は、私の好きな作品の一つ、ショパン舟歌から。

はてなブログを始めたきっかけは?

 はてなブログはエディタの便利さが抜群でした。ブログ自体を始めたきっかけは、誰にも読まれなくてもいいから、自分が考え思ったことを、罵詈雑言すらもそのまま書き殴りたいと思ったからです。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

 お気に入りという点で言えば、「電車の女神」は、このブログの色が一番出ていると思います。本質的には悪口ブログです。また、「クイズ番組を一緒に観てても面白くない人 - もの知らず日記」は、他のブロガーさんにリアクションを頂いたので、印象にある記事です。お気に入りとは少し違いますが。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

 心の動きがあったときです。例えば、本を読んだり他人と話していて「面白いな」と思ったり、日常の何かで不満や怒りを感じたとき。あるいは、何かを伝えたいと思ったとき。それらを、良いものも悪いものもひっくるめて、自分の記憶として書き留めておきたいなと思っています。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

 タイトルだけ、書きたいことのテーマをメモしているものが10個くらいあります。内容まで下書きしてあるものも5つくらいあります。テーマは東京駅がいかに不便であるかという愚痴や、コロナ禍は実は私にとっては過ごしやすい世界だったのだとか、どうでもいい話ばかりです。時間を置いてチェックすると(個々の誤字脱字だけでなく)全体の繋がりがおかしいことに気がついたりもするので、下書き状態で止めています。

自分の記事を読み返すことはある?

 誤字脱字がないか、全体的におかしくないかを見るくらいです。読み返して思い出に浸るほどのブログ歴にはまだ至っていません。

好きなはてなブロガーは?

 読者になっている方。ためになる記事も面白いですし、人間的な気持ちの込められた記事も面白いです。とくに後者については、私は「裸」と言うんですが、裸の記事が好きなのですよね。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 このような素晴らしいサービスを継続して下さってありがとうございます。そしておめでとうございます。盛衰めまぐるしいネットの世界で10年も事業として継続するのは、偉大なことだと思います。私のゴミブログに私以外のアクセスがあるのは、ひとえにはてなブログさんがそのようなコミュニティを設計したからであり、それは私にブログの新しい楽しみを与えてくれました。この機会に感謝申し上げたいと思います。全然一言では無いですね(笑)

10年前は何してた?

 学生でした。朝5時に家を出て、7時に学校について、9時から授業という日々。遅刻・欠席もあって「学生」してましたね。当時は Blogger をやっていて、当時の記事もちょっとだけこちらに移しています(例えば
平穏 - もの知らず日記)。読み返すと、若いなぁと感じます。

この10年を一言でまとめると?

 日進月歩。大変なこともありましたが、着実に、前の一歩を受けて進んできた、というのが実感です。反対に、何かが劇的に変わったとか、一気に飛躍した、という実感はほとんどありません。着実に進んできた。他方、自分の価値観はこの10年で変わったと思います。このこともいずれ書きたいと思います。思想の転換というと大げさかもしれませんが。
 って、全然一言ではないですね(笑)
 はてなブログさんが、多くの人の「思いを残す」場として、永く繁栄されることを、心から願っています。

「フィノ・デ・アロマ」のミルクチョコレート

 カルディで「フィノ・デ・アロマ」のミルクチョコレートが出ていた。わずか300円ほどでこんなに旨いのかとドはまりしたのが去年のこと。店頭から消えたときには外出するたびにカルディを探して店のなかを探し回った。それでようやく置いている店を探し当てて、現品限りというから10枚ほどまとめ買いしたものだ。それもついに店頭から消え、よく分からない外国製のチョコレートに置き換わった。試しにその新しいチョコレートを買ってみたが、個人的には全く物足りなかった。「フィノ・デ・アロマ」が素晴らしいのは安くて旨いということに尽きる。それもよく見かける普通のチョコレートと違って、舌の上でまろやかに溶けてゆく。それだけ熱に弱いというのがまた、食べやすいように進化してきたチョコレートとは一線を画している。それで、先日カルディを訪れたら、並んでいた!! 素晴らしい!! 一年ぶりに見かけて大興奮、思わず店頭で小躍りした。そしてこれまた現品限りで消えてゆく「開喜 凍頂烏龍茶」とともに味わっている。「フィノ・デ・アロマ」が現れ、「開喜 凍頂烏龍茶」は消えてゆく。これこそこの時期にしか味わえないカルディの楽しみである。いや、実は季節など関係ないのかもしれないが。

スティーヴン・ギャロウェイ「サラエボのチェリスト」

 小説はあまり読まないのだが、ときに小説は生きる力を与えてくれることもある。今日読んだ「サラエボチェリスト」も、私にとってはそうだった。

 戦火に包まれたサラエボで自らの危険を顧みず演奏を続けたチェリストと、そのチェリストの演奏に心打たれた3人の物語。

 読んで何より思ったのは、生物として生きていることと、人間として生きることは違うということだ。生きながらにして死んでいる人もいれば、生きるために死ぬ人もいる。それは死を選ぶということではない。彼女は生を選んだのだ。

 生命が脅かされる極限の状況で、彼らは人間として生きる決意をした。それは、いかなる場合にも清くあれというような生ぬるいものでもなければ、砲煙弾雨のなかに飛び込むようなドラマチックな一場面でもない。しかし、それは彼ら自身にとって、顔を、魂を、自分という存在を取り戻す瞬間だった。そして、その自分を取り戻す過程にチェリストの音楽が重要な意味を持っていることを忘れてはいけない。幽霊となった、あるいはなりつつある存在が人間に戻るためには、何かが必要だ。

 悲しみや絶望という安っぽい言葉を通り越えた先に、灰色の世界がある。そして人びとはその中にいる。けれども、灰色の世界から戻ってくることは可能なのだ。「エミナの体は通りに立ち込める灰色に覆われてはいなかった (p. 145)」のだし、「スナイパーは笑顔 (p. 168)」になったのだから。読後よくよく考えると、私はその力強いメッセージに圧倒されたし、頭をぶん殴られたのだ。私たちも「生きよう」、頑張ろう。そう思わせてくれる力が、この本にはある。