もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

行きたくない公的(?)機関ランキング

 何か後ろめたいことがあるわけでもないのに、行くときになんだか緊張したり、「帰りたいなぁ」と思ってしまう、あるいは思ってしまいそうな場所があると思ったので、なんとなくまとめてみた。

行きたくない公的(?)機関ランキング

  1. 警察署
  2. 裁判所
  3. 市役所
  4. 銀行(窓口)
  5. 市役所(本庁)
  6. 鉄道(改札窓口)
  7. 交番
  8. 病院
  9. 消防署
  10. 公民館

警察署

 当たり前。行ったことがない。良いことでお世話になることはほぼ無さそう(人生一度くらいは表彰されるか!?)。私との関連といえば、姉が夜に出歩いて補導されたときに、親が行ったくらいだ。私自身は行ったことすらない。免許があれば違うのだろう。棒を持って入口に立っている人が怖い(そのために立っているのだろうが)。

裁判所

 当たり前。見学以外で行ったことがない。ショーではないから面白く見る気もないし(社会勉強としては興味深いかもしれないが)、まして当事者にはなりたくないものだ。

市役所(本庁)

 日常的な部分では実質第一位。なぜか街の外れ、中心部からは程遠いところにあったりするのは嫌がらせか?

 なんちゃら課が何階で何号室で何だとか、よく分からない。ロビー案内の人が案内してくれない。つまりフロアマップ以下。出張所はよく行く。

銀行

 窓口が怖い。待ち時間はいまだに面接前の受験生のような気持ちになる。近隣の某都市銀行の窓口は機械的な人が多いので、いずれ機械になるのかなと思っている。

鉄道(改札窓口)

 以前ノートパソコンを忘れて慌てふためいて東京メトロ渋谷駅に取りに行ったら、中年の男性と若い女性駅員に鼻で笑われた。京王線でもノートパソコンを忘れて、(終着駅近くの)南大沢駅まで行った。二度の過ちを犯してようやく、大切なものを網棚にあげるのはやめようと学んだ(テレビの警察密着系番組で、1000万円の入ったカバンを忘れたというおじいさんがいたのを思い出す)。

 あと、学生時代に、切符を忘れて東京メトロ副都心線池袋駅の駅員にその旨を告げたところ、「どこから乗りました!?」と怒鳴られた。尋問か?

 こういう出来事は多くはないが、嫌な思い出として残るものだ。

交番

 警察署はやらかしたらお世話になりそうだが、交番は困ったらお世話になりそうだ。だが実際に行くと緊張はするのだろう。いつ見てもパトロール中。

病院

 嫌は嫌なのだが、なんだかんだで風邪だとか検診だとかで行くので心理的なハードルは高くない。地元の人間は「どこそこの病院はヤブだ」などと噂をするが、あながち間違ってもいない気がする。初めて行く病院は緊張する。

消防署

 消防署に行くことって、ないだろうな……。救命講習に参加した場合ぐらいだろうか。

公民館

 恐れる理由がない。でも行く機会もあんまりない。地域のコミュニティに入っていないものね。

 

 と、現時点での印象をもとに何となくランキングしてみた。皆さんはどうだろうか?(唐突な問いかけ)

「話しかけるなオーラ」

 家電量販店で「話しかけるなオーラ」を出すのは私だけだろうか?

 「話しかけるな」とは言っても、店員を睨んだりするわけではない。店員と目を合わせない*1とか、話しかけられそうになったら他の商品を見るフリをして静かに距離を取るとか、その程度のことである。

 何故話しかけられたくないかというと、私の場合は本当に商品を見に来ているだけで、静かに商品を見たいからだ。また店員にとっても、いくら説明をしても結局買わないのだから、こんな奴の相手をするのは時間の無駄である。つまりこれは、店員と私双方のための意思表示なのだ。

 にもかかわらず、この意思表示の結界に踏み込んでくる勇敢な店員もいる。

 

 「何かお探しですか?」

 「いえ、見ているだけですので(買う気は無いので時間の無駄ですよ)」

 

 とは最後通牒で、このとき私は鯉口を切って、じりじりと間合いをとりながら構えている。これで店員が「ごゆっくりお探しください」と剣を納めれば平和であるが、

 「お買い替えですか?」と斬り掛かって来たら開戦である。話を進めてきたからには仕方がない。あなたの知識を利用させて頂くぞ、と息巻いて刀を抜く。

 こうなるとあとは延々質問攻めだから、大抵は店員が「こいつはダメだ」と匙を投げて「もういいですか」オーラを出してくる。リアクションを小さく短くして、話も返答を短くして打ち切ろうとしてくる。こうなったらこちらも潔く「大変勉強になりました。ありがとうございました」と言っておしまいとなる。

 実際の例だと先日パソコンを見に行ったときがそうだった。「見ているだけですので(話しかけないでくれ、の意)」と断ったのに、踏み込んできた。それで、CPUの性能の差だとか、日本製メーカーがこんなに高いのは何故かとか、このパソコンのスペックでもっと小さい画面サイズだったらどうかとか、この価格帯だったらどうか、画面がどうだメモリの性能がどうだと、30分ほど気になっていたことを尋ねてさんざん比較して案内させたあげくに買わないという最悪の客(客ですらない)を演じてしまった。

 しかし、ネットショッピングばかりしている私にとっては新鮮な体験でもあった。単に実物と価格を見にきただけなのだが、店頭も思った以上に嬉しい買い物が出来る……事もあるのだと思った。

 だから、最近は店頭でまったく買わないというわけでもない。むしろネットショッピングのデメリットを感じる出来事もあって、すこし店頭寄りに戻ってきた感じである。

 ネットショッピングの残念な点もあれば、店頭のよさもある。価格を交渉できるのもそうだし、入荷未定のまま振り込む不安もなく、商品をその場で受け取れるのもそうだろう。各分野のスペシャリストに質問できるのも大きい。ネット検索が具体的で個別的な知識を与えるのに対して、プロの人間は抽象的な問いに対しても様々な知識を連関させていくつもの解答を示してくれる。これが大きい(売り込もうとしてか、単なる知識不足か、誤魔化した説明をする残念な店員も、残念ながら居るが……)。

 ともあれ、「話しかけるなオーラ」を出しながらも、こういう駆け引きは案外楽しくない訳でもないなと思っているところである。

*1:ポケモンで主人公を待ち構える敵トレーナーと同じで、目が合ったが最後、エンカウントである。

ツイッター、疲れているシリーズ

 ツイッターで疲れたときのぼやきを書いていたのだが、だいぶ溜まってきたので一部補足しつつまとめてみる。「町長もっこり」と「陰部」はお気に入りなのだが、どっちも下ネタじゃねぇか、というツッコミを自分で入れざるを得ない。

 

  • おだぎり」さんを「おにぎり」さんと空目する程度に疲れている&腹が減っている。珍しい名字だなぁ、じゃないんだよ、自分よ。
  • 電車でGo! の「光の運転士」を「死の運転士」と見間違える程度に疲れている。どんな運転士だよ…まぁ、いっか。
  • 蒸気機関車で開業」が「蒸気機関車が爆笑」に見える程度に疲れている。トーマスじゃないんだから。灼熱の朝です。
  • 峰王強し!」を「棒玉強し!」と空目してしまう程度に疲れている。
  • 家のドアロックにパスモをかざして数秒後にハッとする程度に疲れている。
  • 連休」を「遺体」と空目してしまう程度に疲れている。つまりそこそこ元気な一日でした。
  • 多摩地区」を「田町区」と脳内変換して数秒「???」となった程度には疲れているので眠る……。
  • 愚者」を「患者」と見間違える程度に疲れている。つまりそこそこ元気です。
  • 病院のページで、一般的には「7-10日でだんだんよくなってきます」という説明を「7-10日でどうでもよくなってきます」と見間違える程度に疲れている。
  • 日本醤油技術センター」を「東京靴流通センター」と見間違える程度には疲れている。
  • 合唱」を「合鴨」と空目する程度には疲れている。寝ます。
  • 町長もにっこり」を「町長もっこ」と空目する程度には疲れている。
  • お箸」を「お墓」に空目してしまう程度には、疲れている。
  • 丸すぎるアザラシ」を「汚すぎるアザラシ」と空目した。汚すぎるのは私の心であった。― 完 ―
  • 葛粉」が「葛飾」に見える程度に疲れている。
  • 」が「オロ」に見えて、「オロ食って、なんだ?」と五秒ほど考え込む程度に疲れている。
  • 樹木希林」を「じゅもくきりん」と読んで「…………じゅもく??」となる程度に疲れている。
  • のだめの練習曲」に見えてビックリして見直したら、「ピアノのための練習曲リゲティ作曲)」だった程度には疲れているので圧倒的就寝。
  • フォーマルな美肌感」を「ネイマールな美肌感」と空目するくらいには疲れている。
  • 陸部」が「陰部」に見えて一瞬「?!」となる程度には疲れている家路。
  • 稲城平和コンサート」が「脳髄平和コンサート」に見えたので、かなり疲れているなと思った。
  • 弾き語り」を「弾き笑い」と空目した。どんな新ジャンルだ……。
  • 視界の片隅に「殺されカフェ」という文字が見えたので慌ててあたりを見直したら、それは「愛されカフェ」だった。隙間ともいえない、とんだ新業態だ。やはり疲れているのかもしれない。(いつも疲れているね!)

 

…………なかなか疲れてばかり居るようだ。

今日の夢

久しぶりに明晰夢に近い面白い夢だった。別の世界線の、2002年にタイムスリップする夢。

 

………………

 

 ファッションのコンテストか何かのあと。モデルの子とやりとり。「どう、すごいでしょ?」「まいったなぁ」みたいな内容だった。

 彼女の指に指輪をはめる。石ころほどの、とても大きなダイヤ。彼女の視点に移った(視聴していた、「ランウェイで笑って」の影響だろう)。

 そこで先生に会う。先生は丸い頭の両脇にうっすらと白髪を生やしていて、人に好まれそうなかわいらしい顔をしていた(起きてから思いだすと、その風貌は天皇の料理番秋山徳蔵さんだった)。詳細は忘れたが、何かが進みだしたという感覚と、また後で会おうと話したのは覚えている。

 食事をしている。ログハウスのテラス。裏にはテニスコート。この時代を2時に去ることを決め、誰にも見られない場所で静かに迎えようと思った。

 母や友人との最後の時間。私がいなくなったまま、この時間軸の未来は続いてゆくのだと思うと、涙が出た。私は彼らの未来を見届けることが出来ない。どうか幸せに過ごしてくれよ。

 場面が飛んで、気がつくと卓球をしている。体育館というよりはスペースぎりぎりの卓球場。中学時代の友人Oくんがラケットを貸してくれた。思い出しながらサーブをするがうまくない。そして相手がいない。少し寂しい思いをしつつも卓球場を去る。別れ際、友人に「ここに来られてよかった、ありがとう」と伝えた。

 時間が迫っているので急ぐ。やることをやりきろうと思った。そう言えば先生と話すのだった。研究室へ向かう。階段を2階3階とあがると、なぜか体育館の観客席に出て、体格のよい先生に呼び止められる。

 彼が言うには、5号館で云々とのこと。しかし自分にはそんな約束をした覚えがない。「しかしそれを説明しても言い訳ととられるだろうと思ったし、約束をした証拠はあるのか、とも怪しく思った(起きてから思うに、それは大学と病院をごちゃまぜにしたような場所だった)。

 そんなことを思いつつも、「5号館って、あの体育館の方の?」と聞く。

 2時を過ぎている。廊下にひしめく学生たちを避けながら廊下を進み、掲示板の前に来て先生にあとで訪ねるように言われていたのを思い出す。しかし訪ねるべき先生の名前も分からない。ちょうど近くにいた女の子に「禿げた頭の優しそうな先生の名前は分かりますか」と聞くと、ちょうどそこに先生が現れて気まずい思いをした。

 何らかのやりとりがあって、自分が2020年から来たことを話していなかったことに気がつく。先生は「意識が戻りつつあり、もとの意識と混ざりはじめているのかもしれない」と言った。近くの小さな部屋に入り、脳波を測るための準備をしている。小さなテーブルのうえに、家庭用の血圧測定機のようなものがある。私はその横に座った。「痛いのは嫌ですよ」と私が言うと、「痛い検査はないよ、たぶん必要がないからね」と言った。ああよかった、と思ったら目が覚めた。

「100日間のシンプルライフ」

 久しぶりに映画を観た。「100日間のシンプルライフ」。予告編で主人公ら男二人が身ぐるみをはがされてすっぽんぽんになってベルリンの街を走っているのが最高に面白くて、これは観るしかないと思った。あと、内容的にもスマホ人間*1が嫌いな旧型人間の私にはうってつけだと思って選んだのだけど、なかなか当たりだった。

 評論でもないから感想だけ書くと、まず物質主義・消費社会への批判というメッセージが予想よりも全体的に現れていた。かつて人びとは物を持たず、窮乏し、それでも自由や未来を信じた。しかし今の私たちは1万個ものモノを手にしながらも、心を満たすことが出来ないままに生きている。モノを持つことはそんなに幸せなことだろうか? スマートフォンを握りしめることは、あなたの人生にとってそんなに大切なことだろうか?

 そんな問いかけに、観客は主人公らとともに考えざるを得ない。どちらかというとお笑い路線なのかなと思っていたのだけど、そうではなかった。

 一例を示すと、主人公二人はかつて恋人を奪った―奪われたということで確執がある。これもグローバルな収奪や、使い捨てにする消費社会への批判になっている。本当に大切なものをたった一つ手に入れただけで充足している人間を妬み、奪い、それでも自身は満たされないまま、隙間を埋めようと同じことを繰り返す。

 あるいは、買い物依存症のヒロインは、よりハッキリと、消費がもたらす仮初の幸福感と、消費「させられ」続ける人間の病理を描き出す。

 もちろん、この映画を見ても「いうても世の中便利で楽しいし、そんなん知らんよ」という態度もあるのだけど、それでも私は、自分にとって本当に大切なものは何だろうかと、考えてしまった。

 あとは、ザッカーマン(ザッカーバーグっぽい)なるキレ者のIT起業家がリンゴ(アップル)を食べる隠喩や、元となったフィンランドドキュメンタリー映画へのオマージュとしてフィンランド語が登場したり、ニヤリとするところもあった。

 とはいっても、この映画を堅苦しいメッセージの映画として真面目に見る必要はなくて、ふつうにコメディとして笑って観るのが一番かなと思ったし、私は基本的にはそうした。主人公らのドタバタ。そして全裸でベルリンの街を大疾走。草原のなか全裸の主人公を前にしても一切狼狽ることのないヒロインに、こんな女性がいたらなあ! と思ったりもした(アパートの踊り場で全裸のまま慌てる主人公に遭遇した母子が淡々と「ペニスよ」と言う場面も最高に笑った。欧米って、ドイツって、そういうものかしら?)。

 コロナ禍で映画館はほとんど人がおらず、また声を出してはいけないのだが、私は肩を揺らしながらくすくす笑いながら観た。

*1:歩きスマホをしたり、人と話していてもスマホをいじったり、電車でもひたすらスマホをいじるなど、スマホ依存症とも言える一定の行動パターンをとる人びと。