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もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

アンダーソン『脳波』

読書

 もしもすべての人間の頭がよくなったら、世界はどうなるんだろう、と漠然と考えたりする。戦争の非効率に気がつく? あるいは、戦争の裏でソロバンをはじく? 楽観的、悲観的な未来像のどちらを思い描くこともできる。

 アンダーソン*1の『脳波』は、まさにそんな問題を描いた物語。電気信号の速度が速くなって全生物の知能が向上するという非常事態が地球を襲う。そこでスポットライトが当たるのが3人の人物。この非常事態を利用して宇宙へ進出してゆく物理学者コリンス。指導者として地球上でひそやかに共同社会を築いてゆく元精神薄弱者のブロック。ニューヨーク市長として秩序維持に奔走するマンデルボーム。もっとも、この3人の関係をこう整理するのが正しいか分からないし、別々のドラマとして読んだ方が面白いかもしれない。

 この物語の世界は、大多数の人間にとっては不幸なのかもしれない。少なからぬ人がアメリカ的生活の空虚さに直面したことで仕事を棄ててしまい、あるいは暴動を引き起こし、あっけなく社会体制が崩壊してゆく。彼らは「自分が賢くなっている」と言う出来事に適応できず、戸惑いを覚え、錯乱状態におちいる。単純労働の従事者が賢くなることでその無為を悟って労働を放棄したり、人びとの不安につけこむように新たな宗教が現れるというところが、いかにも俗っぽくて面白い。皮肉にも、乞食が「自分の知性に合う仕事ではない」みたいなことを言って仕事をしようとしないのは、それ以前と変わらないのだろう*2

 そうした激動をもたらす知能の変化に対して、違った形で適応していったのがコリンスとブロックという人物なのではないかと思う。コリンスをはじめとする賢い人間は、いっそう賢くなり目覚ましい発展を遂げる*3。わずかな語句と身振りで完璧な意思疎通を果たすようになり、ついには光速を超える宇宙船を開発する。これに対して、そういう賢さを持っていないブロックは家畜や動物を従え、さらにほかの弱者などとともに生きる共同社会を作る。

 こうして書いてみると、コリンスたちは難なく知能の向上を受けいれ、ブロックたちは内面的に大きな衝撃を受け、葛藤し、ときにはその激動に適応できなかった(錯乱した)のだと結論付けたくなる。けれどそこで待ったをかけるのが、コリンスの妻シーラ。知能の変化に適応できず、神経衰弱におちいったシーラは、内心で夫コリンスに対する違和感をつのらせてゆく。二人は愛し合っているのだけど、どこかでかみ合わない。それが物語の終盤になると、コリンスたちもまた知能の向上によって内面まで変わってしまったのだということが決定的に分かる。それがシーラと言う視点を通してつきつけられるので、読んでいて二人の別離を感じざるを得ない。

 この本が面白いのは、人間だけでなく「全生物」の知性が高度に発達した世界を描いているということだと思う。冒頭からして、うさぎは罠から自ら抜け出し、豚は人間に恨みの念をあらわにしている。さらにブロックたちの共同社会は、かつてのブロックのような精神薄弱者、そして知能の向上に適応できずにいる人びと、そして新たな知能を手に入れた動物や家畜たちによって支えられている。ある意味で、動物たちが人間社会に組み込まれているという点で、まったく新しい社会の形だと思う。

 もちろん、現実性を求める方からするとツッコミどころは多いのかもしれない。例えば「そんな社会でそんな研究施設が維持できるんですか?」などと意地悪くつっこみたくなってしまったけど、大切なのはそういうことではないと思う。むしろ「もしもすべての人間の頭がよくなったら……」と想像しながら、ただ読むというほうが面白い。その意味で、この本は僕のようなSF入門者にとてもむいている本だと思う。

*1:本書ではアンダースンになっていますが、一般的な表記かと言うと、迷いどころ……

*2:もちろん、すべての乞食がそうだということではない

*3:余談だけど、”あちら”から核ミサイルが飛んできたけど電磁遮壁で防御するというくだりは、なんだか子どもがよくやる「バリアー!」という感じがして笑った