もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

甘栗むいちゃいました

甘栗むいちゃいました」、このネーミングはすごいと思う。想像がふくらむ。

 ひとこと「甘栗むいちゃいました」と言えば、たちまちむかれた栗の姿が思い浮かぶ。

 さらにこの言葉が放たれる状況を想像すると面白い。例えば、商品を手に取った瞬間、甘栗をむいた従業員さんの姿が現れて、恥ずかしげに、それでいて申し訳なさそうに言う。「甘栗むいちゃいました」。この光景を想像できる自分はかなり頭がおめでたい。こんな空想をするときは、実際に人がむいているのか……なんてことは関係ない。(実際には人がむいているらしい)

 もっと深刻に考えると、「甘栗むいちゃいました」への疑心が強まる。あたかも「あなたわざわざ甘栗の皮をむくのが好きだったよね、楽しみを奪ってゴメンネ!」という皮肉をぶつけられているかのような。

 なぜそんな歪んだ考えに至るのか。「甘栗むい”ちゃい”ました」と言うからには、むくことをあらかじめ希望していたわけではない、というのがあちらの言い分になる。しかしその一方で、甘栗をむくのが相手にとって望ましいことも自覚している。

 つまり、”相手にとって望ましいことを、自分の希望しないところでやり遂げてしまった”と言いたいのだ。そんな主張は、皮肉ではないにせよ嫌味の一歩手前というところだろう。例えるなら、仕事で疲れている上司にコーヒーを差し出して、さも当然という顔で「コーヒー入れちゃいました」と言ってのけるような所業だ。ぐぬぬ、やるじゃないか、というような心境になる。

 ではもし「甘栗むいちゃいました」からそんな小憎らしいニュアンスを取り除くとしたらどうだろう。つまり、純粋に相手を思いやっている”てい”でネーミングしたらどうなるだろう。

「甘栗、お剥き致しました」。『坂本ですが?』の坂本くんが言いそう、ものすごくスタイリッシュな”むき方”、盛り付けで。読みづらい「剥」と読点がミソ。

「甘栗すぐにお食べ頂けます」。そりゃそうなんだけど、むいてあるってことを言わないと。

「甘栗いかがですか」。ただの呼び込み。

「あなたのために、甘栗むきました」。なんかやだ。

結論:う~ん、やっぱり「甘栗むいちゃいました」はすごい!