もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

映画館で隣に来る人について

はじめに

 「ボレロ」を見に行ったときの話なのだけど、空席だらけなのに、両隣に中年男性がやってきた。シアターは空席だらけだったから、私は「隣に誰かが来ることはないだろう」と決めつけて、普段買いもしないポップコーンを頬張りながらくつろぎまくっていた。

 開演時間になって鑑賞マナーの案内が始まったころ、薄汚い男性が入ってきた。作業員とかそういうのではなくて、ただ身だしなみに気を遣っていない汚さ。「隣には来ないでくれ、隣には来ないでくれ」と祈っていたが、よりによって彼が座ったのは私の隣だった。しかもそれが両隣…………なんということだ。

 いやいや、空席はいくらでもあるのに、変ではないか? 私の考えでは、多くの人はふつう他人と近接することを嫌がるものだ。チケットは座席を指定できるのだから、離れた席を選ぶのが自然だ。しかし、彼らはそうではないらしい。私の常識から外れた判断をする人間が、いま私の隣に居る。

 いやいや、人を非難する前にまずは自分の常識を疑おう。彼がなぜ私の隣を選んだのかを考えてみよう。私が考えた可能性は以下の通り。

1,偶然、隣になってしまった

 有り得なくは無さそうではある。たまたま私がチケットを買うのと同時刻に座席を選んでいて、たまたま隣になってしまったのではないか? コンサートのS席のように、鑑賞に好まれる位置が似通ってくるとすれば、想像以上に蓋然性は高い。しかし今回は両隣、そんな偶然ある?

2,窓口購入で勝手に隣にされてしまった

 いくらなんでも、そんな不親切なことある? だとしたら、窓口の人が悪い。もしくは座席を采配するコンピュータが無能なのが悪い。半分以上が空席で、座席は他にも山ほどあったぞ。

3,隣に誰が居ようが俺のお気に入りはここだ

 私はこれが一番有力だと思っている。私のなかのオッサン*1はこう考えた。「俺はそこそこ前列の右側がいいんだ。誰が居ようと関係ない!」。オッサンは基本的に、他人の気持ちを考えない。例えば、自分が隣に座ったら嫌がられるだろうな……などとは考えない。もしかしたら「誰が居ようと関係ない!」とすら思っていなくて、単に自分が好きな席を選んだだけかもしれない。そのシンプルさが説明としてより相応しい気がして、恐ろしいのだが。

4,寂しい

 誰でもいいから、とにかく誰かに隣りにいてほしいという動機だとすれば、日頃から同じようなことを繰り返し行っていると考えられる。もしそうなのだったら、せめてもう少し清潔な格好をして、行儀よく鑑賞してほしい。

5,女の子の隣だったらいいな

 あまり考えたくないが、可能性としては挙げざるを得ない。白状すれば、私だって隣に汚らしくて靴を脱いで鑑賞するオッサンが来るよりは、清潔な男性や清潔な女性が来たほうが嬉しい。ただ、その「ため」にアクションを起こす(わざわざ他人の隣の席を選ぶ)か否かが決定的な違いだ。両者は似て非なるもので、前者(偶然に隣に来るなら、そのほうがいいという意味)は理解出来るが、後者(そのために、自分から狙って座席を選ぶ)は明らかに異常だ。思えば、今回両隣に男性が来たときの恐怖感は、このあたりから説明出来るかもしれない。

おわりに

 いくつか列挙してみた。こういう方は結構居るのだろうか。映画館を睡眠の場として使う趣味。千円以上をかけて、お金持ちだなあと思うが……。

 彼は私の隣で靴を脱ぎ、股を広げて眠りこけていた。作品への態度といい、不快だった。私は彼が悪いと思うが、彼を責めたいわけではない。ただその行動原理を知りたいのと、自分への教訓としたい一心だ。もし映画館で故意に隣を選ぶ人がいるなら、ぜひその動機を教えて頂きたいと思う。

*1:私はオッサンを蔑称として用いている。年老いることは誰でも避けられないことだが、こうなりたくないと思う人を、私は心のなかで勝手にオッサンと呼ぶ。