もの知らず日記

積み重なる駄文、天にブーメラン

電車の割り込みに遭遇したときの心の動き

状況

 電車の始発駅。からっぽになった電車のまえで、座席を狙う人たちが待ち構えている。わたしもその列にいる。

 と、わたしたちの列のとなりに女の子がぽつんと立った。その足元には目立つように「ここは狭いから並ばないでください」みたいなことが書いてある。この文章を見ていないか、見たうえで無視している時点でまず嫌な予感がした。友人同士買い物帰りと見える目の前のおばあさんらも、チラっとその女の子を見た。

 電車が来た。と、その女の子のうしろに男の子がさっと並んだ。たぶん大学生だ。なぜ分かるのだろう。そして同じく嫌な予感がした。「やめろ、やめるんだぞ」と心のなかで念じた。

 乗客が降り、からっぽになった電車のドアが開く。と、案の定、彼らは割り込んで乗車、自分の座席を確保した。

感想

 こんなありきたりな行為を糾弾するつもりはない。糾弾するくらいなら「並んでください」と言えばよいことだ(ま、実際に言ったところで無視されることが少なくないのだけど、刺されないだけマシか)。この一連の流れのあいだに、わたしはこの女の子と男の子に対して、心のなかで評価をしていたことに気がついた。

 まず、「並ばないで」と書いてあるにもかかわらず並ぶという行為。「彼女は気づかなかっただけか?」と心のなかで問う。「いや、注意書きを見ている可能性は高い。足元が違う色になっていて目立つし、彼女はスマホもなにも見ていない」「であればなぜ彼女は注意書きを守らないのか」「座席に並びたいからだ」。

 次に、彼女の身なりを見る。なんだか黒いもこもこした上着を着ていて、化粧の感じもけばけばしい。「ああ、いかにも遊んでそうだな」と感想を抱く。そして、「自分さえよければいいタイプのお子さま」というジャンルにカテゴライズする。そして、「ああ、この顔つき、これはこういうことをする人ですわ」と思い込んで勝手に納得する。

 このようなことをごく一瞬で行なった。うしろの男の子に対しても同じだった。なにも彼・彼女を凝視したり、考えようと思って考えたわけではない。実際には、ちらっと見て、カテゴライズ、というぐらいの早さだった。

 そしてカテゴリーに分類したあとは、それを確信するように彼・彼女の外見的な情報を認識していった。そして「やれやれ、それなら仕方がないな」と勝手に納得し、暇つぶし用の本を取り出す。隣のおばあさんたちが「やあね、信じられない。わたし言おうかと思ったのよ」と言っていた。